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山妖

僕の父は四国出身だ。

今より何十年も前、父がまだ少年だった頃は、
父の住む漁村はもはや隔離された感もある“超田舎”だった。
前は海。後ろは山。
その山を大きく隔てて隣町がある。
今はその山のど真ん中に大きなトンネルが掘られて、
かつて隔離されていた村は、
“次の町までの通路”みたいな扱いになっている。
もちろんアクセスは楽になった。
村の人は喜んでいるようだ。


子どもの頃は、
夏になると田舎に帰省した。
村の前にある海は水がきれいで、
磯には見たこともない不思議な生き物もたくさんいた。
思えば僕の“変な生き物”好きは、
この時代に醸成されたものなのかもしれない。


僕がその海や山で遊んでいた頃よりもうんと昔。
五十年ほど前だ。
少年だった父にとっても海や山は遊び場だった。
祖父や村の大人から、
海や山に関する不思議な話もよく聞いたらしい。
父自身も経験したという。

ある日、山で遊んでいた時のこと。
どんどんどん、という落雷のような音が聞こえた。
父とその友達がびっくりしているとほどなく、
ざざざざ、と草や灌木をへし折りながら、
大木が5・6本、山の斜面を滑ってきた。
それら大木の切断面はあきらかに、
斧やのこぎりで切り倒されたそれではなかった。
何だかむしりとられたような。
さっきまで生えていた木を、
巨大な何かが掴んで力任せにちぎったような。
そんな切断面だったそうだ。


こんなこともあった。

友達と二人、山で鬼ごっこをしていた。
と、妙な声が聞こえた。
鳥のような赤子のような。
笑い声のような泣き声のような。
男のような女のような。
ちょっと活字化できない、妙な声だったそうだ。

見たこともない珍しい鳥でもいるのかもしれない。
そう思った父は、
友達と連れ立って山奥に分け入った。
よく遊ぶ辺りを離れ、二人は山中を進む。
とはいえ勝手知ったる山だ。
毎日のように遊んでいるので、けもの道まで知り尽くしている。
臆することなく、ずんずん奥に進んだ。

もう少し遠くでさっきの声が聞こえた。
さらに進む。
その辺りで二人は気づいた。
思ったよりずっと日が傾いている。
肌寒くなり、景色は他人行儀な顔をしている。
周囲は静まり返っていた。
妙な鳴き声どころか、ヒヨドリの鳴き声すら聞こえない。
山が静まり返る時にはろくなことが起こらない。

「えらく静かだな……」

そう父がつぶやいた時、

<げげげげげげげげ>

というもの凄い嗤い声が響いた。

父と友人はいっさんに駆けた。
帰らなくては。
ここから離れなくては。
命の危機すら感じたという。
あの大きな木を右に折れてまっすぐ行けば。
村が見えるはずだった。

だが、見えない。
いつもあるはずの道がなかった。
麓に突き抜けるはずの道は大きく湾曲し、
また山の中腹に連れ戻された。

おかしい。
そんなはずはない。

二人は二度、三度と同じ道を走った。
違う道を通ろうという考えはなかった。
知っている道ですら迷っているのだ。
知らない道など、一体どこへ迷い込むかもわからない。
陽はもう山の稜線に消え入りそうだ。
こらえていた涙が噴出しそうになった。
さらに同じ道を走った。
これで五度目。

「見えた! 村だ」

二人が歓喜の声を上げた。
その瞬間、父は聞いた。
耳のすぐ後ろで、何かが大きく舌打ちをしたのだ。


構わず、山を転がり出た。
ほんの一瞬だけ、
巨大な鳥のような何かが木々の間を飛ぶのを見た。

切り傷だらけで疲れ切った父を見て、祖母は顔色を変えた。

「ああ、そうか。センジュガナの日か」

そして泣きじゃくる父を抱き寄せ、何を見たのかを聞いた。
父が大きな鳥のようなものを見たと言うと、

「そうか、あれを見たか。よく生きて戻れたなあ」

と言って涙を流したという。



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