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思い出の蛹

映画館で映画を二本ほど観た。

①ソフィア・コッポラ監督『オン・ザ・ロック』

主人公の女性がパートナーの不貞を疑い、女たらしの父親に相談したことで、さらにややこしい事態に陥る話だ。この気まずさは味わったことがある……と思うシーンの合間に、お洒落でお茶目な父親との不倫探偵ランデブーが挿入されたコメディタッチの映画だった。人間同士の溝や、親子同士の呪縛をポップに描いているのがお洒落。氷を入れたお酒はまろやかで、時が経つにつれて味も変わっていくけれど、本質的な個性は変化しない、そんな映画。ビル・マーレイの伊達男っぷりがとにかく魅力的で、私ももし、パートナーに浮気の疑いを持った時には、素敵なおじさまと赤のオープンカーでキャビアを食べながら、尾行したいと思った。

②金子由里奈監督『眠る虫』

不思議な感触の映画だった。亡くなった人と生きている人が普通に一緒にいて、普通にコミュニケーションも取ってしまう、みたいな。言葉にするとファンタジーみたいだけれど、ちゃんと地に足のついた、現実としての映像で面白かった。死者は近くにいて、大切なのは少し扉を開けておくといった気遣いをしてあげること。舞台挨拶で監督さんが、「映画館ってバスと似ていると思って」と言っていた。私も夜行バスなんかに乗ったとき「バスのフロントガラスって映画のスクリーンみたいだなぁ」と思っていたので、その感覚が映画になっていて嬉しかった。

どちらの映画も石が出てきて、不思議な気持ちになった。石が思い出の蛹のように思われた。小さい頃とか拾いませんでしたか、石。近所の駐車場とか、河原とか。触った時の安心感は、生き物を触った時に似ていますよね。ひよこをそっとすくいあげた時みたいな。大好きな詩人の最果タヒさんの『「好き」の因数分解』に石についてのこんな文章がある。

つい最近まで液体であったかのような顔をしている。石のくせに、きみは、うごめいていたのですか。これはいったいなんなのですか。木の年輪と、何が違うというの、変容し、形を変え、そうした時間の中を進んできたこの石は、なんなのだろう?
 私が、5秒に1回、息を吐く、それと同じ世界で、1000年に1回、息をしているとは言えないか。

最果タヒ『「好き」の因数分解』p. 25

石ってやっぱり不思議ないきものですね。あー、夜行バスにでも乗ってどこかに行きたくなってきた。等間隔の街灯のリズム、電線のうねり。全然知らない人の全然知らない寝息。着いたら、それらを全部入れた石を一個持って帰るの。新しい土地に行きたいなぁ。

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