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絶対絶対すごい

私の好きなものは絶対すごいって信じながら生きてます。

絶対絶対すごい。

だってすごいものしか好きになりたくないから。
もちろん超絶エゴイズムな話なので、その人の表現したいものや対象とする人が変われば、なんか違うなっていうのが出てくるときもあって、その時は勝手に裏切られた気持ちになって落ち込んじゃう時もあるんですけど。

でもたまに絶対絶対裏切らない人っていうのがいるんです。
その一人が大森靖子さん。死んでしまった人が絶対裏切らないことはあるんですけど、大森さんは生きながら、絶対裏切らないと信じられる人なんですよね。12月11日に、京都の老舗ライブハウス磔磔でライブがあったので行ってきて、やっぱり神々しくて、ぐしゃぐしゃに泣きました。

大森さんのことは、これまた大好きな笹口騒音ハーモニカさんの『SAYONARA BABY BLUE』という超名曲のカバーで知りました。そのころの映像があったので貼っておきます。

当時の私は、自分がすごく汚いものに思えていて、しかも妙に潔癖なところから、汚い人間は世の中にいてはいけないと考えていました。それでも握りしめて粉々になった、残りかすくらいの未練がこの世にはあって、窓の下に広がる景色に向けた一歩は踏み出せないような、そんな子でした。

そんな時に出会った『SAYONARA BABY BLUE』と言う曲。そして、それを歌う大森靖子さんと言う人。どちらも汚れてしまった気持ちの、その先の強さや、美しさを具現化したような存在で、当時の私にはあまりに鮮烈で、生まれたての赤子のような気持ちで、こういう人たちに着いて行こうと決めてしまったのです。

少女であることをもとめるなら、そちらからピンク色をよこしなさいと世の中に言える強い人。

言わないとなかったことにされちゃうことっていっぱいありますよね。言うのもめんどくさいし、特に私は女なので、割とにこにこ笑ってれば済むことも多くて。しかもそういう風に流した気持ちって自分でも忘れちゃう。大森さんはそういうことを逃さず、きめ細かなフィルターで分離して、しっかり目に見えるものにしてくれる人なんです。そんなことをするってすごくしんどいことだと思うんです。特に今どきはいろんな人の目にさらされるし、失敗したらアウト、みたいな風潮がある。自分のドロドロを見せるより、清廉潔白風に生きたほうが楽なんです。なのに大森さんはおそらく人一倍繊細なのにも関わらず、しんどいほうをしんどい人たちのためにずっとやってて、目の前で閃光になって消えてしまいそうな、神々しい儚さにいつも心揺さぶられてしまいます。

心というのは、もとはツルツルしているのだけれど、生きてくうちに表面にテトリスみたいな変な形のブロックがたくさん降り積もっていって、すごく複雑な凹凸のある立体になってしまったものだと思っています。すごく細かく、いろんなところが出っ張ったり引っ込んだりしてるから、他人の心の立体の一側面と、それなりにピタっと来るところがあるんじゃないかと。もちろんピッタリはまるところって、心のほんの一部で、相手によっては一個の凹凸だけかもしれないし、逆に気の合う人っているのはそのピタっとなる一部がそれなりに広い人なんだと思うんですね。そんで、このピタっとなった心地よさっていうのが麻薬で、それは心のほんの一部だったことを忘れてしまう。他人と合わさった部分の、その何倍も大きな複雑に入り組んだ部分があるにも関わらず。

大森さんの歌っていることや言っていることはいつもよく理解できるんです。めちゃくちゃ入り組んだ凹凸でも。どこかの誰かの恋でも、人格のない気持ちでもなく、いつも、私と大森さんのことを歌ってくれていると思える。けれども同時にそこに甘えさせてはくれなくて「私の感情は私だけのものだから、お前のことは歌ってないよ」と喝を入れてくれる。それはどんなに新曲が出ても、ずっと変わらなくて、この前のライブでも目を見て訴えてくれて、拝むように聴き入りました。信念が変わらないので、めちゃくちゃ信用できるんです。嘘がない。自分も、シャンとしなきゃと奮い立つ。

ベイビーブルーもピンクも、きったねぇ無かったことにしたかったその時の気持ちを染め上げてくれるお守りですけど、心の形全体が変わったわけではないのです。

世の中を忘れるのも、私から。さよならを言うのも私からであるように、これからも頑張って生きていきます。あれ、なんの話でしょう。

(笹口さんもめちゃ素敵なので以下貼っておきます。)


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