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[cakes]このまま眠りつづけて……

cakesが閉鎖するということで、原稿をこちらに移転しました。

 眠い。だるい。毎日好きなだけ寝ていたい。仕事に睡眠時間を制限されたりせず、自分の好きなように自由に時間を使いたい。毎朝決まった時間に起きて、毎晩決まった時間に寝る生活なんて、生きている意味がない。そう思って仕事を辞めて、毎日特に決まった予定もなくいくらでも惰眠を貪り続けられる境遇になって数年経った。願いは叶った。今日は午後3時に起きた。だけど、ときどきそんな自分の生活が苦しくなることがある。本当に自分が欲しかったのはこれだったんだろうか。

 漫画『ナニワ金融道』の中の、本筋にはあまり関係ないちょっとした台詞がずっと記憶に残っている。夕方から朝方まで働く屋台のラーメン屋の仕事について、落振(おちぶれ)という名前の爺さんがこう言うのだ。「同じように見えるけど実は人間の体は夜眠るようにできてんのや。倍疲れるんやで」。確かにそうかもしれないと思う。

 今の自分は好きな時間に寝て好きな時間に起きられる境遇なんだけど、好き勝手に生活をしていたつもりが、いつの間にか睡眠にパターンができてしまっている。睡眠時間は毎日8時間〜9時間程度で大体一定なのだが、寝る時間と起きる時間が毎日約1時間ずつ後ろにずれていくのだ。

 何故そうなるのかは分からない。もともと寝付きが悪くてなかなか眠りにつけないせいかもしれないし、(自分にとっての)夜になるほど頭が冴える体質のせいかもしれない。寝起きが悪くて、(自分にとっての)朝いつまでも寝床でぐずぐずしているせいかもしれない。

 毎日ずれていく睡眠の時間帯が、午前3時に起床〜午後3時に起床、くらいになっているときはあまり問題ない。これくらいならまあ、世間的な「かなりの早起き」から「かなりの自堕落な寝坊」の範疇に収まっているし(いるよね?)、世間とのずれもそれほどではないので、そんなに違和感なく毎日の生活を送ることができる。

 起きるのが午後4時くらいになったときからちょっとおかしくなってくる。この頃から起きている時間の大半が「一般的な夜(日が沈んでいる)」になってくる。昼夜逆転。夕方に目を覚ましてもうすぐ日が沈むことを知ったときに感じる絶望感のようなものは何なんだろう。あと、眠らずに朝を迎えたときの、よく分からない心臓の動悸や落ち着かなさも。やっぱり人間は太陽の下で活動するようにできているんだろうか。

 夜中に目を覚ましていてもあまりやることがない。人のいない夜の街をあてもなく散歩するのは好きだけど、毎日夜の世界に暮らしているとそれもだんだんうんざりしてくる。太陽の光が見たくなる。夜中は店もコンビニくらいしか開いていなくて不便だ。郵便局にも銀行にも文房具屋にも行けない。友達もみんな寝ているので遊ぶ相手もいなくて、飲み会や食事の誘いなども活動時間帯が合わなくて参加できず、少しずつ周りから孤立していってしまう。

 一日に約1時間ずつ時間帯がずれていくということは、約24日で起床時間は一回りして元に戻る。そうすると、自分は一ヶ月の半分を午前3時から午後3時に起床するくらいの昼の世界を、もう半分を昼夜逆転の薄暗い世界を生きていることになる。できればずっと昼の世界を生きていたいのだけど……。「頑張っていつもより早く(遅く)寝る(起きる)」などの行為で生活時間帯を調整しようと何度も試みたけれど駄目だった。一時的に睡眠時間や起床時間を変えてみても、どうしても毎日1時間ぐらいずつ遅く起きるというリズムに戻ってしまう。

 もう一つ気付いたことは、一日に約1時間、睡眠が後ろにずれるということは、25時間周期で生活していることになる。そうすると、一日が他の人より25/24だけ長くなる代わりに、他人が25日間生きている間に自分は24日しか生きていないのだ。入眠も目覚めも摂る食事の回数も全部、他の人の24/25しか自分は体験していない。トータルで過ごしている時間は同じなんだけど。

 「好きなだけ眠りたい」と「ある程度生活時間帯を一定にしたい」という欲求は両立しないのかもしれない。「もうちょっとだけ余分に眠りたい」「もうちょっとだけ余分に起きていたい」という欲求は、「前日の睡眠時間・起床時間より常に後ろにずれ続ける」ということを必要とするから、仕方ないのだろうか。

 また、どんな風に睡眠を取るかということは、社会性と密接に繋がっている。毎日12時間以上眠る人や日中突発的に眠ってしまう人は社会生活を送る上で困難を感じるだろう。一般的な勤め人は毎朝決まった時間に起きることを要求されるし、そうした習慣=社会性を個人に内在化させるために義務教育は大きな役割を持っている。

 人間はある程度決まった生活パターンに従うことで、自分の中の体内時計を毎日調整して時計の時刻に合わせている。何故体内時計の調整が必要かというと、そもそも時刻や時計というのは社会的なもので、それぞれ異なる時間の流れを持った人間同士が共同して動くために共通の時刻というものが生まれたからだ。人間は社会と繋がるために時計を使う。だから、社会や他人との強い繋がりをうっとうしく思って今のような孤立した生活を選んだ人間の生活が、社会的な時間からどんどんずれていくのは必然なのかもしれない。

 しかし「自由に毎日を送りたい」「世間の枠には自分は嵌らない」などと思って自分は今のような生活を選んだわけだけど、完全に縛るもののない生活もうまく乗りこなせないでいる。決まった枠から外れたいと思っていたはずが、結局自分の求めていた自由とは世間のリズムから1、2時間寝過ごせば満足する程度の自由で、完全な自由時間を自分で自由にコントロールできるほどの器の大きさはなかったのかもしれない。今さら真っ当な社会人をできる自信もないけれど……。

 友達の話では、最近新しいタイプの睡眠薬が出てきたらしい。一般的な睡眠薬は「神経の働きを無理矢理ダウンさせて眠りに落とす」というものなので、飲むとふらふらしたり健忘を起こしたりするのだけど、新しいタイプのものは「体内時計をコントロールすることで自然な眠りを導く」というものらしい。

 その薬を飲めば、好きな時間に眠って好きな時間に起きることができて、自分の生活をうまく自分で組み立てられるようになるのだろうか。社会性や体内時計といった軛を超越して、完全に自分の意志で自分の全てを統べられるようになるのだろうか。100%の完璧な自分になれるんだろうか。

 しかしそれが本当にできたとしても、それはある種の理想なのかもしれないけれど、それはある種の地獄でもあるような気がする。そこまで自分に浸ってしまったら、発狂とか孤独とか、あまり良くない結末が待っていたりしやしないだろうか。社会。自分。社会。今夜もまだ眠れそうにない。

ぼやけていくんだ
うすれていくんだ
俺になれ 俺になれ
誰にも似てないギリギリの俺になれ
——ゆらゆら帝国「私は点になりたい」

(2012年10月30日)


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