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[未発表記事]住居の変化と生き方の変化

『人生の土台となる読書』用に書いたけど、ページの都合もあり使わなかったものです。シェアハウスの話が一個くらいあったほうがいいかな、と思って書いたんだけど、ちょっと固い感じになってしまったかもしれない。

シェアハウスを自分で運営してみようと思った理由は、大学時代の寮生活に比べると、世の中の一般的な家が全部あまり面白くないな、と思ったからだ。
物件情報を見ると、家族が住むための3LDK前後の家か、一人で暮らすためのワンルームか1Kくらいの家が多い。
でも、人間の暮らし方というのは多様なのだから、もっといろんなタイプの物件があってもいいはずだ。
家族には興味がないけれど一人暮らしもつまらない。そんな自分にぴったりな住まいは、自分で作るしかなかった。

その時代の人たちがどういった家族を作って(もしくは作らないで)暮らしているかということと、どういう構造の家に住んでいるかということは連動している。
僕は、柳田國男の『明治大正史 世相編』という本で語られている「火の分裂」という話が好きだ。

柳田國男は明治の終わりから昭和の初めにかけて活動していた民俗学者だ。民俗学というのは、その時代の普通の人たちがどういう風に暮らしているか、というのを研究する学問だ。
昔の日本の家というのは薄暗かった。明かりを取り入れる場所がなかったからだ。明かりといえば囲炉裏があるだけで、家の人間は全員が囲炉裏端で過ごしていた。
囲炉裏は明かりでもあり暖房でもあり、調理道具でもあった。囲炉裏の火は神聖なもので、家の中心にあり、家を守るものでもあった。火という権力は、家の中枢に独占されていた。

これは住宅の変遷に置いて、考えてみるべき問題であるが、家で食物を調理する清い火は、もとは荒神様の直轄する自在鉤の下にあったのである。その特別の保証ある製品でないと、これを食べて家人共同の肉体と化するに足らぬという信仰が、存外近いころまで村の人の心を暗々裡に支配していた。P65

薄暗かった日本の家は、障子紙で明かりを取りいれることが広まってから変わってくる。障子紙は次にガラスへと置き換えられて、さらに明るくなる。そして技術が進んで電気が通るようになると、全ての部屋が夜も明るくなった。
そうした明かりの変化は、人間の精神のありかたにも影響を及ぼした。
日本の昔の家制度というのは、家長の権力がすごく強くて、個人の自由はあまりなかった。家の中心にある囲炉裏だけが明かりを司っているという状況はそれを象徴していた。
しかし、技術の進歩によって各部屋が明るくなることで、それぞれの人間が自分の部屋で本を読んだり、独自に物を考えたりすることが可能になったのだ。

家の若人らが用のない時刻に、退いて本を読んでいたのもまたその同じ片隅であった。彼らは追い追いに家長も知らぬことを、知りまたは考えるようになってきて、心の小座敷もまた小さく別れたのである。夜は行燈というものができて、随意にどこへでも運ばれるようになったのが、実は決して古いことではなかった。それが洋燈(ランプ)となってまた大いに明るくなり、次いで電気燈の室ごとに消したり点したりし得るものになって、いよいよ家というものにはわれと進んで慕い寄る者の他は、どんな大きな家でも相住みはできぬようになってしまった。自分は以前の著書において、これを火の分裂と名づけようとしていたのである。
P113

(補足:柳田「火の分裂」については、めろん先生も書いてますね)


そしてその後も技術の進化によって、個人が自立する傾向は強まっている。
僕が高校生くらいまでの頃は、インターネットも携帯電話も普及していなかった。だから友達と連絡を取るのはかなり面倒だった。家の固定電話に電話をかけて、相手の親に「〇〇くんいますか」と言わないといけなかったのだ。
今はスマホやインターネットのおかげで、家族と住んでいても家族以外の人間と気軽に連絡を取れるようになった(うらやましい)。気軽に繋がりを持てる相手は多いほうが生きやすいし楽しい。

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