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[未発表原稿]大きなシステムに流されないこと

『人生の土台となる読書』用に書いたけど使わなかった原稿です。大きな影響を受けた鶴見済さんの話です。


 高校生の頃に衝撃を受けた本といえば、鶴見済さんの本だ。
 『完全自殺マニュアル』は自殺の方法をひたすら解説した本で、1993年に発売されると100万部を超えるベストセラーになるとともに、有害図書として規制されたりもして、社会現象になった本だ。

 「世紀末を生きる我々が最後に頼れるのは生命保険でも年金制度でもない。その気になればいつでも死ねるという安心感だ。」というキャッチコピーに懐かしさを感じる。そうか、当時は世紀末だったんだよな……。
 平坦な下り坂をだらだら下るような21世紀を20年も過ごしているともう当時の気分は忘れてしまいそうになるけれど、90年代の終わり頃は、今が末世のような、全てが完成して終わりつつあるような閉塞感があったのだった。
 この本には確かに自殺の方法が詳しく解説されている。だけどいたずらに自殺を推奨するような本ではない。
 マニュアル形式でひたすら自殺が語られているから、読むと「人間はこれくらいのことで簡単に死んでしまうんだな」という乾いた感想を持つ。
 だけど、死や自殺を人目につかないように隠してしまったり、「命は大事だ」とかそういう建前を言われたりするよりも、こんな風にあっけらかんと書いてもらったほうが、「命なんて大したことがないものだし、それだったら生きられるだけ生きてみよう」という前向きさが湧いてくる、と僕は思う。

 「強く生きろ」なんてことが平然と言われてる世の中は、閉塞してて息苦しい。息苦しくて生き苦しい。だからこういう本を流通させて、「イザとなったら死んじゃえばいい」っていう選択肢を作って、閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて風通しを良くして、ちょっとは生きやすくしよう、ってのが本当の狙いだ。
 別に「みんな自殺しろ!」なんてつまらないことを言ってるわけじゃない。生きたけりゃ勝手に生きればいいし、死にたければ勝手に死ねばいい。生きるなんて、たぶんその程度のものだ。「生きるなんてどうせくだらない(→ケース9)。

「おわりに」より


 僕が一番よく読んで活用したのは、『人格改造マニュアル』だったと思う。

 『人格改造マニュアル』は鶴見さんの二作目の著書で、自分の人格を薬や催眠やセラピーなどで改造することで生きづらい世の中を生きやすくしようという本だ。社会の大きな流れへの個人的な抵抗、という点で『完全自殺マニュアル』からテーマは一貫している。
 鶴見さん自身が社会にうまく適応できなくて、さまざまな方法を試してきた遍歴を集めた内容になっていて、単なるマニュアルではなく体験した人間しかわからない重みがある。
 努力して自分を変えるのも、薬を飲んで自分を変えるのも同じ、なら薬を飲んだほうがラクでいい、みたいな考え方はずっと僕の中にあって、それは鶴見さんの影響が大きいと思う。その流れは遡れば70年代ごろに、「LSDをやった精神状態と禅による精神状態も同じ、だからLSDはインスタント禅だ」みたいに言われてたことに繋がる。まあそれも程度問題で、やる気があれば何でもできるみたいな根性論もよくないけど、なんでも薬でインスタントで解決できるかといえば、そうもうまくいかないのだけど。
 久しぶりに読み返してみて、この頃は発達障害みたいな概念がなかったな、ということを思う。人間はみんな同じようなものだから、普通にできないのは努力が足りない、みたいな考えが今よりも強くて、息苦しかった。今はその頃よりも、それぞれの特性やスタートラインが違う、ということが認められつつあると思う。  
 自律訓練法や認知療法のこともこの本で知って、試してみて結構効果があった。


 そして僕が大学生のときに発売された『檻の中のダンス』。

 この本はミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を下敷きにしつつ、人間の肉体を机に縛り付けてじっとさせようとするこの管理社会と、そこから抜け出して肉体を自由にさせようとするダンス・ムーブメントについて書いたものだ。
 僕は授業中に机にずっと座っていることが苦手な子どもだったので、この本もとても刺さった。
 社会は体をじっとさせようとするけれど、それは管理をするのに都合がいいからだ。

 その目的はひとつ、「従順な身体」の育成だ。ヨーロッパの軍隊や兵学校あたりが、18世紀頃までに、それまで修道院や監獄などさまざまな場所で使わ荒れてきた「躾の方法」をまとめて、さらに工夫されながら学校、工場、病院など、産業社会全体に広がったもので、今この国でもやっている。

P62

 机に向かうこと。真っ直ぐに整列すること。時間割を守ること。集団行動をすること。社会の中にあるそうした仕組みを鶴見さんは「ドリル」と名付ける。
 本当は人間の体というのは多種多様な動きをするものだ。でもそれだと扱いにくいから、一律に扱ってみんな同じように動いたり止まったりすることを強制する。

 「現代社会」はうまくやったように見えた。全員を”生産”に駆り立て、それに反するものを排除し尽くし、すべての脳にさりげなくそうしたプログラムを埋め、すべての身体を飼い馴らした。

P116

 でも別にそれに従わなくてもいいんだ。社会のいうことを全部聞く必要はない。意味のない行動をしてもいい。じっと座っていられない自分は間違ってないし、好きなように体を動かそう。この本を読んでそう思った。

 このムーヴメントは、堅苦しさに耐えかねた我々が誰とはなく起こした、システムに対する体の反乱なのだと思う。もっと多くの人が踊りだして、さらにこの動きが広がればいい。世界を覆い尽くすまで続けばいい。

P118

 この本に影響を受けて、大学生のときにゴアトランスが流れ続けているどこかの山奥のレイヴに行ったこともあったな、と懐かしく思い出す。

 クラブで頭や手足をめちゃくちゃにぐにゃぐにゃさせて踊るのも、そういえば大学生の頃は好きだった。最近はめっきりそういうのはやらなくなってしまったけれど。


 鶴見さんは最近も『脱資本主義宣言』や『0円で生きる』など、社会の大きな流れに流されずに生きていくことを追求する本を出したり、「不適応者の居場所」など、人と人がつながる場所を提供したりしている。

 お金とか社会とかシステム、というのは人間をほったらかしで進んでいくものなので、そうした大きなものの隙間に挟まれてすり潰されてしまう人というのがどうしても出てきてしまう。
 それを救うには、小さな人と人とのつながりというのを、作り出して保っていくしかないのだろうな、と思う。


 『檻の中のダンス』に特に顕著だけれど、鶴見さんの著作には社会学的な視点が強い。それは鶴見さんがもともと大学生のときに、見田宗介のもとで社会学を学んでいたからだ。
 鶴見さんが影響を受けた人はどういう人だろう、というところから興味を持って、僕は見田宗介を読み始めて、その後ハマっていくのだった。

(見田先生は最近亡くなってしまいましたね……。偉大な人でした。見田先生については『人生の土台となる読書』でたくさん書いたのでここでは書きませんが、鶴見さんが書いた見田先生の追悼文を貼っておきます)


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