Alexander Supertramp.イントゥザワイルド
私は他者や無機物、なんにでも共感しちゃう。
あくまでも私の主観の内に収まった共感。その対象に同化する感覚の方が近いかも。
なんにでもなれるのでイイ。環世界(主観的やけど)を行ったり来たり出来る。
ほんで今日はイントゥザワイルドを観た。
文明社会に浸り疲れたときに観ると自分の軸に回帰できる。海獣の子供や自然の中の味わいってのもこれに近い。
物語の中でクリスがスラム街を歩き、街の様子やそこで生活する人をみて生気が沈んでゆくような場面がある。
自分の世界と周囲の世界が決別しているようなその感覚、意外とみんな感じてんだなあって少し嬉し驚き。クリスは自らを取り囲む世界から離れ、自分の世界の構築を選んだ。築いてゆく様子ってのはそれはもう「生きる」の真骨頂だと私は感じた。
しかし彼は息を引き取る直前に「自分の世界」と「周囲の世界」を結んだ。いや、周囲の世界ではなく「誰かの世界」と自分を繋いだのかもしれない。
彼が最後に書き記した言葉からそう感じた
「Happiness only real when shared.」
この言葉は彼自身が放浪の時を重ねた結果、辿り着いた幸福なのだ。
私はこの物語を観て幸福について分かった気になろうとしている。
しかしきっと今の私は幸福が持つ意味に辿り着いてはいない。
私自身が体験し、時を重ね、実感し得た意味ではないからだ。
例えば老人が最後に「愛することが幸福だ」と言ったとしても、それを聞いた若者が真の意味で老人の言葉を理解出来たとは言えない。「理解出来たつもりで愛する」という一番危ういことをしてしまう。自らの体験を経て愛の意味を知ることに価値があると思う。それが例え最終地点から眺めた時に「失敗や間違い」を含む経験であったとしてもだ。
彼は私に幸福の意味を聞かせてくれた。
私もこの身体で放浪したい。
私も自分の世界を構築してみたい。
それが例え最終地点から見てベストな時間でなくとも、きっとこの放浪を無くして私の世界での幸福の意味には辿りつけない。
なーんてことを思いますた。
生き物っぽく生きよーう。
バイ。
ps.放浪に向けて筋トレ頑張ったYeあ
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