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今日も呼吸しながらご飯を食べたい

小さい頃、ご飯の時間が苦手だった。特に夜ご飯。

小さい頃の私の夜ご飯の時間は父親の帰宅から始まる。父が玄関に入ってくる、はたまた家の駐車場に車を止めたところから彼のご機嫌チェックを行いましょう。足音で機嫌チェックをします。

仕事から帰ってきた父は帰ってきたらトイレに行き、お風呂に入る。その導線を決して邪魔してはいけない。あ、その前に「お帰りなさい」も言いましょう。「おう」と帰ってきた日はまあまあです。

前の晩に「今日の食卓は静かだな」と言われたから、今日はたくさんおしゃべりしないとと意気込んでいます。

同時に夕食を作っている祖母にも話しかけて少しだけお手伝いをしましょう。炊き上がりのご飯を底から混ぜるのは私の仕事。それ以外をすると、祖母のルールに反するため必ず小言が帰ってくる。やりすぎず、やらなさすぎず。

シャワー上がりの父が食卓について夕食がスタート。学校であったことなどたくさん話す、昨日まで話さなかったような事も話しかけてみる。何か変わるかもしれない、父と普通に話せるかもしれない、と願いながら話すと、父から帰ってきたのは「うるさい」と怒鳴り声。

静かな食卓にもどった。むしろいつもよりも冷え込んでいるかもしれない。昨日は静かだなって言ったじゃん。もっと学校であった事話せって言ったじゃん、父の要望に答えたつもりがこれは答えにはなっていなかったようだ。今日のご機嫌チェックも失敗した。

失敗続きの姉を見て、妹は「無駄だよ」と目で言う。家族円満なんてこの世にないような達観した、諦めた目で私をみる。泣いてはいない。今日の夕食、美味しいって言って全部食べなきゃ、祖母が「美味しくなかったんだな、もう作らない」と言うから。美味しいから全部食べなきゃ。

1年に数回くらいは楽しい夕食がガチャ式で現れる。その日に縋るように、毎日楽しい夕食にしたい。

楽しい夕食は運ゲーなのか。

サザエさんやまる子ちゃんを見て、やっぱりあれはアニメの世界なんだなと言い聞かせる。

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食卓に対するイメージが
・時間通りにいなきゃいけない
・美味しい証拠に全部食べなきゃいけない
・楽しい雰囲気を出さなきゃいけない  etc..

「いけない」ことがたくさんある、頑張らなきゃ「いけない」今思い返せば戦場だった。

でも楽しい夕食もあった。

父が出張、母が休みの日の夕食はいつも私や妹の好きなものが食べられる夕食。シチューやグラタン、主食がパン。この日は祖母たちも別になる。母の料理は口に合わないらしい。

夜ご飯なのに、パンを食べる。なんとも罪深い。父や祖母には言えない。「ありえない」って絶対受け入れようとはしないから。

母と妹と私の3人で食べる夕食は、まるで脱獄でもはかろうとしているかのように、悪巧みをする。実際、息もできない夕食からの脱獄だった。


決まって次の日、祖母や父は「昨日の夕食は楽しかっただろ?」と聞く。自分たちがいなかった方がいいだろうと。私は「そんなことないよ、おばあさんの料理の方が美味しいよ「いつもと変わらないよ」って相手が喜びそうなことを吐き出す。毎日、嘘をつく。その度に息が止まる。家族を楽しまなきゃいけないと思い込む。


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食事付きのシェアハウスに誘われた時、昔の記憶が蘇った。みんなでご飯を食べるのは怖い。お店で食べるのはまだいいんだけど、家の中で作ってもらったものを食べるのは苦手だった。どうしたらいいのかわからなくなる。

「通勤が・・」

なんて断った気がする。けど、それから1年後私はその家に居ついていた。

そのシェアハウスのママの料理はいつでも美味しい。美味しいのに「無理に食べなくていいんだよ〜」って残っても怒らない。それどころか残ったものはまた生まれ変わって次の食卓に出てくる。そもそもママの料理は美味しいからそうそう残らないけど。

一番好きだったルールは早い者勝ち、かもしれない。とりあえず自分のことを考えていたらいいのだ。お皿も取り分けることにないし、とりあえず自分の分だけ確保する。住民が我先にと動く姿を見るのが好きだった。(率先して動くのはオーナーのあつさん。あつさんは一番最初に食べるが、食べ始める前に大きな声で「食べるよー!」って言う。みんなに聞こえる大きな声で呼び掛けて食べ始めるから独り占めしてやろうなんて言う「早い者勝ち」ではないのだ。各々のペースで食べ始めていい、「早い者勝ち」なのだ。)

「ママは万年ダイエッター」と言って、食べない人のことも責めない。ママ自身が夜ご飯を食べないのだ。(でも「お菓子食べちゃお〜」ってお菓子は食べる)

突然、来客があっても大丈夫。ママは数人のお客さんはカバーできるくらい作っているし、さらに作ってくれたりする。私がお客さんだった頃「いつでもいらっしゃ〜い」っていつも送り出してもらってた。

食って本当に不思議なコミュニケーションだ。食欲は三大欲求の1つだからなのか、食を美味しく、楽しく共有できた人とは打ち解けやすい気がする。


そして、小さい頃の私まで抱きしめてくれた。
みんなの顔色を見て、とりあえず胃に入れる行為をしていた私に楽しいご飯を教えてくれたのは、シェアハウスに住んでいたみんなだった。


そんなに昔の話ではないのに、時々懐かしくて、戻りたくなる。
でも戻るんじゃなくて、同じようにあったかい場所を作りたい。


あったかいご飯を食べて、回復できるような場所。

やっぱりまだ作ってもらったご飯を食べるのは苦手だから、美味しいご飯を作れるようになりたいな。

でも昔の私は知らなかったような楽しかったことを、今の私はたくさん知っている。少しずつ、毎日生きててよかった。今日も呼吸しながらご飯を楽しみたい。

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