Day 10 そのかたじけなさに涙こぼるる
4月9日(火) Day 10
いさんだの浜
↓
三軒屋海岸
(豊功神社)
宿泊: ウズ🌀 ハウス
昨日の夕方、関門海峡の手前にある砂浜、青年の家の前にある " いさんだの浜 " に上陸する少し前からふり出した冷たい雨が今日もふりつづけていた、
昨夜は九州島の北九州市の小倉駅の近くにあるタンガテーブルというゲストハウスに宿泊した、わたしは久しぶりの都会に目がクラクラし頭がぐるぐる回っていた、3ヶ月もたった今だからこそ地図を見ながらその日の記憶をひもときながら情報として記してはいるが、その当時は自分がどこに宿泊しているのかもわからないほどだった、
九州島と本州島(アンクルはそう呼んでいた)が入り組んだこのエリアは古代から現代まで重要な交通の要所としてひっきりなしに海を渡る人たちが集中し頻繁に海上を通過し上陸していた瀬戸内海と外海(日本海)を分ける場所なので、なんとも言えない特別なエネルギーに満ちているのをわたしは腹の底でずっと感じていた、その当時の人々の緊張感とそのクプナ(先人)たちの念のようなそのエネルギーを私はいまでも覚えている、
昔からこの海峡を渡る前には人々は陸に上陸し、もしくは海峡の手前に船を停泊させて、この長く曲がりくねった海峡を渡るタイミングを緊張しながら見計らっていたのだろう、海の神様にご加護を祈り願っていたのだろう、
お昼ぐらいには雨があがりそうだったので、わたしは少しでも関門海峡が実際に見渡せる場所にPIlialohaを漕ぎ進めたかった、
今Pilialohaがいる ”いさんだの浜” は九州側の海峡の手前最後の砂浜だったけども、そこから関門海峡にはいるまでぐるっと周防灘に面する半島を回らなければならず、目指す海峡はその浜からしたら裏側にあたり小高い山やコンクリートの高い堤防のせいで海峡を見渡せる場所ではなかった、
それにその浜は関門海峡を古代の人と同じような心持ちで砂浜で神聖な祈りをささげることができるような砂浜ではないように感じていたのだ、
そこで午前中、わたしたちは下見も兼ねて車で関門橋を渡り本州側、対岸である山口県側の三軒屋海岸を訪れた、離れた場所に車を止めて、小高い山を登った場所に広場があった、その公園は城趾で現在は関見台公園という名前がついているように、まさに関(海峡)を見渡せる場所だった、
そこは桜が満開でアンクルはおお喜び、スマホで動画を撮りながらライブ配信しハワイに住む友達や奥さんと話していた、
昨夜の大雨で散り始めたのだろう、石畳を覆う桜の花びらの絨毯がほんとうに眼を見張るほどに美しく、上も下もすべてが まさにさくら色に染まっていたのだった、
もうずいぶん前に閉鎖されたのだろう、くじら館の横を通り階段をくだった先にその浜はあった、海峡だけでなく、すべての方向からやってくる海峡を通る船が見渡せる浜なのだ、潮の流れも手に取るようにみえる砂浜だった、
この浜の上にある城の城主はもとは海賊で、この関を通るすべての船から通行税をとっていたそんな歴史がうかがえる美しい砂浜だった、たくさんのクプナたちがうごめくようにこの浜から海に漕ぎだしていき、上陸してくる様が見えるようだった、その時間はちょうど満潮だったみたいで波打ち際もサラサラの砂地だった、
もともと応神天皇を祀る宇佐神宮の八幡宮があった場所に、この地を治めた毛利家の称号を神社名ににした豊功神社(とよこう)が隣にあり、そこにも当然のようにお参りした、
古代の人と同じように海を漕いで渡るわたしたちにとって神仏のご加護はなくてはならないものなのだ、
そこには千年以上前から竜神様を祀っていた祠もあり、
その昔、不思議な珠(たま)、潮が満ちる時に見える珠(たま)と干上がる珠を竜神に戻したら島になったという伝説がある万珠(まんじゅ)と干珠(かんじゅ)という名前がついた2つの島が見えるこの高台の場所は、昨日までの数日間わたしたちが漕いで渡ってきた周防灘、伊予灘、そしてその海に浮かぶ島々が見渡せる場所で、瀬戸内海とその島々に別れを告げるには最適な場所だった、
日の出の名所でもあるようで、今までこの場所で古来から登るお日様に手を合わせ祈りを捧げる祖先の強烈なマナを感じることができた、瀬戸内海の海もキラキラと輝いてわたしの祈りと別れの言葉にこたえてくれた、
いよいよ明日はPilialoha はこの瀬戸内海に別れを告げて始めて日本海、外海に出会うのだ、目が覚めるような感じで高まりを感じる、無数のクプナたちの魂に響鳴するように、自分の魂にわたしはずっと語りかけていた、
" いさなんだの浜 " を舟出して、わたしたちとPilialohaは三軒屋海岸を目指していた、アンクルにも瀬戸内海への別れのパドリングで一番シートを漕いでもらった、距離は10キロほどだけども向い潮と予報以上の北風が岬をこえる前からわたしたちの行く手をはばんだ、" いさんだの浜 " は九州側福岡県にあり、めざす三軒屋海岸は山口県にあるので、関門海峡を南北に縦断することになる、瀬戸内海から日本海に向か大型タンカーや日本海から瀬戸内海に入っていく大型の船舶の往来だけでなく漁船や作業船がひっきりなしに九州側の沿岸を走り去る、船の引き波、やコンクリートの堤防にあたって跳ね返ってくる不自然なバックヲッシュという波がひっきりなしにPilialohaを襲ってくる、カヌーという太古からある小舟で自然と調和しながら海をやさしく漕いで渡ろうとするわたしたちに向けて、自然を自分たちの思い通りに破壊し人間の都合のいいように自然を作り変えようとする人間の欲望とエゴがわたしたちとPilialoha に襲いかかってくるように感じた、でもそんなエネルギーにわたしたちは負けるわけにはいけないのだ、
半島を回りこんで左右前方の視界が開ける場所に到達した、そこでタイミングを見ながら一気に本州側に縦断するのだけども、左前方、日本海側の海峡から大きなタンカーがこちらに向かって進んでくるのが見えた、最初は瀬戸内海に行くタンカーだろうと思っていた、タグボートが突然全速力でやってきて並走しだしたのだ、一瞬、海上保安庁の巡視艇かなにかかなあと思ったけども、そうではなく、拡声器で何かを叫んでるけども波しぶきの音とそのタグボートのエンジン音でまったく何を叫んでるか聞こえない、そしたら突然『デンジャー・デンジャー』と英語で叫びだした、アンクルが一番シートに座っていたからだろうか、『危険!!』なんて言われても何もできない、ウェイクとバックヲッシュで、洗濯機のような状態になったこの海上で止まったらバランスを失いフリ(ひっくり返ること)する可能性もある、とにかくバランスを失わないためにも漕ぎ続けるしかないのだ、何が危険なのか、それからしばらくしてわかった、その日本海側から関門海峡を瀬戸内海に向けて進むと思っていた大きなタンカーがなんとわたしたちとPIlialohaに向けておおきく舵を取り急ターンしてきたのだ、左奥の岸側を見るとそこには工場のようなクレーンが備わったコンテナターミナルが見えた、おそらくその港にこのタンカーは入港するに違いないと瞬時に判断したわたしは、切り立ったコンクリートの巨大な堤防が左岸に続いているその先っぽを目指しタンカーの進路から内側に逃れるように全力で左よりに漕ぎ進むことを判断した、
わたしは南伊豆に住んでる時に何度も神子元島や利島、新島に漕いで渡っていたので、船の進路とスピード、角度からくる船の見え方で危険を回避するための判断をする自信はあった、ましてやタグボートから事前にタンカーへ連絡がいってるはずなので彼らもわたしたちが優柔不断に右往左往とうろつくよりも、目指す方向を決めて必死で漕いでる姿を見せたほうが、彼らも安全に進むことができるものなのだ、
突然アンクルが一番シートで叫び出した、Turn right ! 右に逃げろ、と言ってるのが聞こえた、一瞬ヴァアの中に動揺が走ったが、僕はそれを無視して左の岸側を目指して漕ぎ続けた、巨大なタンカーの引き波をアマ側に受けるのだけは回避したかったのだ、
余裕でタンカーの航路を回避したけども、タンカーの引き波を回避することはできなかった、でもタンカーは入港するためにかなり減速していたので曳き波のパワーはさほどでもなかった、それよりも危険なのは減速する前のタンカーのその大きな引き波がコンクリートの堤防にあたって跳ね返ってくるバックヲッシュが次に襲ってきそうだった、Pilialohaの舳先を右に向けるのがそのタイミングだと判断して、そのバックヲッシュに押されるようなその波に乗るようにPilialohaの向きを本州側に向けた、そのあとはその波に乗りながら私たちとPilialoha は海峡の中央に向けて漕ぎ続けた、もう危険な船はそこにはなかった、前方に三軒屋海岸が見えていた、
わたしたちは漕ぎ手を休め、一呼吸いれた、振り向くとついさっきまでわたしたちに向けて突進してきたタンカーはコンテナターミナルに向けてゆっくりと入港していく姿が見えた、そこには静けさが戻ってきた、たくさんのクプナ(先人)たちの魂が集まってきたように感じた、
三軒茶屋海岸が近づくにつれて、浜の感じが今朝と違うことにすぐに気がついた、浜が広く幅があるように見えたのはいいのだけど、潮が引き過ぎていて砂浜の手前の岩やゴロタ石がゴツゴツと顔をだしているにだった、これでは上陸できないとすぐに判断したが、周りの小さな砂浜もすべてが同じような状態なのだと判断できた、
静かにPilialoha を岸に寄せ、岩に乗らないように少しだけ残る砂地にPilialohaを上陸させる、昨日の ” いさんだの浜 ” での出来事を思い出した、
今日はそれよりもすごく、足の踏み場もないほどに岩だらけ、石だらけなのだ、途方に暮れてる暇はないのだ、皆で力を合わせればなんとかなる、わたしたちは自然の砂浜を取り戻すため、海を浄化させるため、この母なる地球の調和のエネルギーを取り戻すために活動しているのだから、
わたしのクレアナ(使命)なのだから、
必ず大いなる存在が助けてくれる、そんな自信がいつもわたしにはあった、
大きな岩に、ごめんね、と語りかけながら移動する、石を一つ一つ拾いながらPilialohaに傷を付けないですべらせることができるような砂地をつくりトレイルをつくっていくのだった、流れ着いた布団をクッション代わりに敷きつめる、
どのくらいたったか定かではないけども、太陽が西の空に落ちかけて浜が日陰になり肌寒くなり始めたころに、やっとPIlialohaが通れる道が上部の砂浜に向けて出来上がった、
砂浜の上の満潮線までなるべくそこを削らないように心持ち持ち上げながらPIlialohaを6人ほどで運んでいった、もうみんなへとへとだけど、達成感と高揚感は半端なかった、ありがとう皆、とPilialohaもほっとしている、
アンクルは砂の上でわたしたちを見守りながらもクプナたちと話をしているようだった、
PIlialohaを満潮線の上の所定の安全な場所に置いてから、いつも浜に上陸した時にやる祈りと献水の儀式をした、キラキラとたくさんの魂が蘇ってくるような不思議な時空を越えた空気がそこには流れていた、なみだが流れるような目に見えない存在というか気配がそこにはたしかにあったのだ、
アンクルはすぐにみんなで手を繋ぎ和をつくり祈りを捧げはじめた、昨日の宇佐神宮の時と同じ時間が流れはじめた、
八百万の神々が、ヤハタの神もその浜に降りてきていた、そしてこの砂浜から海峡に向けて、大陸に向けて漕ぎだしていった無数の海人や海賊も集まっている、瀬戸内海の水軍たちの魂も別れを言いに来ているようだった、
さまざまな古代の先人たちの魂がそこに集っていた、
長い祈り、瞑想だった、、、
『なにごとのおはしますかは知らねども そのかたじけなさに涙こぼるる』
そんな言葉がしっくりするような、そんな時がこの先さらに始まる、そんな予感をわたしは感じていた、