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ほっちのロッヂの記録7:お看取り

2月から、ほっちのロッヂで過ごさせてもらっています。

続けられるかわからないけど、記録できる日はnoteに記録していこうと思います。
昨日書きたかったことを思い出したので、昨日のこと。


今日のまなび:お看取り

今日の朝ミーティングでは、土日にお看取りをした話をしていました。

ドクターやナースは普段から、終末期、高齢の方が、「△△までもつかな」「○○さんは、そろそろかなって感じだった」という話をよくしている。

その人がいつまでもつか、いつまで生きられるか、なんて、人間の力でわかるものじゃないと思っていた。
実際、人が生きるってことって、何が起こるかわからない。先生の想像がはずれることも、たくさんあるのだと思う。

でも、ここのドクターやナースは、少し違う。
それは、日々の暮らし、生活、病気や治療以外の日常を、普通の医療者よりも共に過ごしているからだと思う。
その人の「病」ではなくて、その人の「生きること・生活」を起点に毎日のお仕事しているからこそ、その人の最期の時間も、ご一緒できるのだと思う。

「息がいつもと違う感じになっています」というところから、ドクターやナースに電話がくる。
「呼吸でおなかが動いていたのが、だんだんと喉だけになって、最後は口しか動かなくなってきて、」ということを丁寧に話してくれたらしい。

そのことを言葉にするのは、私はつらかった。今でも思い出すと心が震えてしまうし、このミーティングでも溢れた。
でもこうやって、ドクターやナースに対して言葉にするっていうのは、「最期の時間」だけじゃない、それまでの関係性があってこそできることだと思う。

特にコロナの今、気軽に面会できず、大切な人に会えないままお別れしてしまうようなこともきっとたくさん起きている。
家で、地域のつながりのなかで、好きな人に囲まれて過ごす、最期を迎えるっていうことが、どれだけ尊いか。
それを支えているのが、厳しい状況のなかでも走り続けている、在宅医療の働き手。

本当に本当にすばらしい仕事だなと思う。

そして、家で医療者と会う、治療を受けるというのは、もしかすると多くの人にとっては他人事かもしれない。
でも、いつか自分事になるし、自分の地域で奮闘している医療者はきっと今もいるはず。あってはならない事件が起きていることも、他人事で済ませてはいけないと思う。



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