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ほっちのロッヂの記録4:「ごはん」と「食事介助」

2月から、ほっちのロッヂで過ごさせてもらっています。

続けられるかわからないけど、記録できる日はnoteに記録していこうと思います。


今日(昨日)のまなび:それは「ごはん」か「食事介助」か

医療的ケアが必要な子どもにとって、ご飯を口に運んでもらうこと、吸引機で痰を取り除くこと、おむつを替えてもらうこと、酸素を送ってもらうことなど、欠かせない営みがある。
私たちも、日々、ご飯を食べ、お風呂に入り、トイレに行き、呼吸をしている。同じく、欠かせない営み。

これを、ケア児と一緒にいる大人が、「医療行為」と捉えるか「暮らし」と捉えるかの違いは、子どもにとっても大人にとっても大きい、という話。

病院で看護師がやれば「食事介助」だけど、家でお母さんがやれば「ごはんの時間」。それって何が違う?
「介助」「介護」と思ってやるのと、「一緒にごはんを食べる時間」と思って過ごしているのでは、「あたたかさ」が違うのかなと思う。

例えば、「いらっしゃいませこんにちはー」と、AIでも言えるような挨拶をする店員と、「こんにちは、ご来店ありがとうございます。今日もお仕事帰りですか?」と歓迎する店員。
後者のほうが、その人の暮らしや日常に溶け込んだ、優しい時間を共有できることは間違いない。

医療的なケアではあるけれど、一緒にいる大人が、「生活や暮らしのなかの当たり前の営み」として、居合わせることができるかどうか。

医療者ではない、専門家ではないからこそ、それがナチュラルにできたり、感じることができたりする部分もある。
私はここで、そういう時間を大切にできたらいいなと思っている。

そして、福祉や医療の存在目的は、そこだと思っている。治療をすること、制度を使うこと、施設に入りケアを受けることが目的なのではなくて、それはあくまで手段。
福祉や医療は、その人の暮らしや日常が、どうやったら優しく、豊かになるか、それを一緒に考え、歩んでいくこと。

大事にしていきたい。

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