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雑記帳31:VUCAの時代で

 VUCA(ブーカ)という言葉がある。これは、volatility(変動性)、uncertainty(不確実性)、complexity(複雑性)、ambiguity(曖昧性)の頭文字を組み合わせた言葉で、複雑で予測困難な事態を意味するものらしい。
 もともとは冷戦後の国際情勢に関して登場した言葉ということだが、現在は特に経済の領域やビジネスシーンでよく用いられている。そして、現代人の「生きにくさ」の背景としてVUCA が引き合いに出される。
 
 ビジネスの世界では、VUCAの時代を生き延びるには3つのスキルが必要だという。
 ・テクノロジーの理解と情報収集力
 ・自らの頭で考える力
 ・ポータブルスキル(どのような業種でも活かせる汎用性の高いスキル)

 生きにくい世の中で生き残れるように、早くから子どもに職業(進学)意識を持たせたり、そこから逆算して勉強を先取りさせたりするのも同じことだ。ひと昔前に「教育ママ」「お受験」という言葉が流行したが、それよりも今の方が小中学校からの受験意識は強いし、学習塾への関心も強いと思う。心理臨床においても、自分の「トリセツ」を作っていく(自己理解を明確にする)とか、コミュニケーションスキルやストレスコーピング(セルフケア)を身につけさせるということがあるが、これもどこか似ている。
 
 これらの底流にあるのは、一人ひとりがスキルアップに努め、勝ち残れるだけの力を身につけていくべき、という思想だ。もしかして、「結局のところ、信じられるのは自分だけ」というスタンスもあるのだろうか。だとすると、それって、逆に人の孤立を深めてしまわないか。
 
 ここで思い出されるのが、通過儀礼のことだ。最近は昔ながらの通過儀礼がなくなってきたといわれるが、たとえばある地域では、女性や子どもの立ち入りが禁じられている山に、ある年齢になった男子が登り、お参りすることをもって一人前の男として認められる風習があった。それはそのコミュニティにおける男の子の成長を助ける仕組みであった。だから、周囲の人たちはそれを信じ、子どもたちを見守る。そのように考えると、私たちが成長し、生き抜くための力を身につけるには、「信じられる場」が必要なのだ。
 
 最近よくきく「自己肯定感」も同じ。その人の自己肯定感を高めるような特別な手立てがあるのではなく、何よりその人が肯定される「場」が必要なのだ。子どもの「主体」「私」というものも、「この子にはこの子なりの心がある」と信じ、呼びかけてくる他者がいる「場」においてこそ立ち上がってくるものだ。
 そして、それらの「場」では、「信じること」をめぐる微妙で緊密なやりとりがある。信じたい/信じられたい、信じていいのか/信じられているだろうか、信じられなくなった/少し信じられるようになった・・・・。
 
 相手に対してパワーアップや改善を図るアプローチがまったく無意味ではないとしても、それ単体で「主体」「私」が育まれるわけではないし、しばしば相手の主体を認めない関与・関わり合いのない関与になりやすくなるということを相当考えておかねばならないだろう。とりわけ心理臨床家は。(W)

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