マガジンのカバー画像

Utaro Notes更新情報

108
執筆者Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート。 https://dodidn.com/blg/
運営しているクリエイター

#パンツ

人新世のパンツ論⑰―特別編II・フンドシと森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文藝ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑰―特別編II・フンドシと森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』」。 またもや、フンドシの話…。 しかしここでは、文豪・森鷗外さんが登場するのです。フンドシと鷗外さんって、いったいどんなつながりがあるの? といったところで興味を持たれた方は、ぜひお読みください。 私自身、学生時代からも含めて、森鷗外という人の作品はあまり

人新世のパンツ論⑯―特別編I・ペペッティ、ココッティ、スキャンティ

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文藝ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑯―特別編I・ペペッティ、ココッティ、スキャンティ」。 なぜこんなに長く「人新世のパンツ論」が続いているのか、自分でも半分呆れている面がありますが…急転直下、続いています。特別編全4回のうちの1回目です。 大阪出身の下着デザイナー“ココ娘”、鴨居羊子(かもいようこ)さんのペペッティとかココッティとかスキャンティっ

人新世のパンツ論⑮―編集後記・レナウンのワンサカ娘

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文藝ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑮―編集後記・レナウンのワンサカ娘」。 まずはお知らせ。 「人新世のパンツ論」はこの“編集後記”をもって最後、という予定だったのですが、どうも書かずにボツにしていたテーマやモチーフがわんさかとあって、とても惜しい。そこで急転直下、“特別編”という形で、あと4回ばかりシリーズを続けることにいたしました。お騒がせして申

人新世のパンツ論⑭―最終回・愛しきフンドシは二度ベルを鳴らす

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文藝ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑭―最終回・愛しきフンドシは二度ベルを鳴らす」。 最終回は、フンドシ(褌)がテーマ。 昔の日本人男性はみな、フンドシを締めていました。それを意図して奨励する時代もありました。 戦後、メリヤス製の下着が主流となって、ステテコやトランクス、ブリーフを穿くようになり、今となっては普段穿きとしてフンドシを締めている人は、皆

人新世のパンツ論⑬―腰パンとステテコの話

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文藝ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑬―腰パンとステテコの話」。 例えばジーパンを穿いていて、腰のところでボクブリやトランクスのゴム帯が見えている状態。これが腰パン。 「人新世のパンツ論」で腰パンがおしゃれであると今更推奨しなくても、もう若い皆さんは既にやっている。実践なされている。だから尚のこと、腰パンいいね! といっておきたかったのです。 それ

人新世のパンツ論⑫―ゆとれぬパンツの危険な冒険

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文藝ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑫―ゆとれぬパンツの危険な冒険」。 前回の安心安全のトランクスの話から一転して、今度は危険なパンツの話。 とはいえ、パンツにおいて何が安全かをしっかり認知・理解するには、一度冒険を試してみる必要があったわけで、それはいったいどういうことなのか、読んでのお楽しみ。 ということで、ぜひご一読ください。 ご意見・ご感想

人新世のパンツ論⑩―日本人の羞恥心とパンツの謀略

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文芸ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑩―日本人の羞恥心とパンツの謀略」。 さあ、おまちかね、不定期連載「人新世のパンツ論」第10弾! 学生時代のパンツ(男性下着)と裸にまつわる「恥ずかしい」と思うエピソードから、その羞恥心とは何かについて書いてみました。 パンツに学び、パンツとこれからどう付き合っていくか。背けずに考えていきたいものですね。 では、

人新世のパンツ論⑨―日本男児の終焉とスーパーな昭和50年代

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文芸ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑨―日本男児の終焉とスーパーな昭和50年代」。 こんなパンツ(下着)を穿くようになったら、日本の男も終わりだな…というような感覚が、世代間のギャップとして、昭和50年代にあったようです。今ではごく普通に出回っているカラフルなショーツが、当時はとても斬新で、男性が穿くモノではなかったと。 面白いことに、パンツ(下着

人新世のパンツ論⑧―パンツのモリとエイセイ

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文芸ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑧―パンツのモリとエイセイ」。 人新世のパンツにおいて大事なのは、身だしなみとおしゃれ。その感覚を身につけること。今回は、身だしなみ、とくにパンツで包み隠している部分の衛生について展開してみました。

人新世のパンツ論⑦―ラグジュアリーなランジェリー

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文芸ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑦―ラグジュアリーなランジェリー」。 Threadsさんが私のポストを検索できなくした理由は、どうやら、このシリーズ「人新世のパンツ論」の、ブログカードに用いている画像(この上にある画像)が、規約上の公序良俗の視覚的に“引っかかった”ようです。それらのポストを削除してみたら、ふつうに自分のポストが検索できるようにな

人新世のパンツ論⑥―虎の尾を踏むパンツ

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文芸ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑥―虎の尾を踏むパンツ」。 前回に続き、昭和時代の女性週刊誌の記事から各メーカーの男性下着を紹介。 本当にこれを見ていて、70年代の写真であるのに、古さを感じません。パンツが古いなあという感じがしない。というかその頃既に、人類が穿くべきパンツは進化の最終章だったのでは? とも思ってしまう。 ただ、受け止める側が、

人新世のパンツ論⑤―あなたの彼にいかがですか?

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文芸ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論⑤―あなたの彼にいかがですか?」。 昨年12月に第4回の「人新世のパンツ論」を書いて、今年最初のシリーズ第5回。小説を書けといわれたら、キーボードを打つ手が止まってしまうのに、パンツのことを書くとなると、どうしてこうどんどん字数が増えていってしまうのか、不思議です。 今回は、昭和50年代の女性週刊誌の企画をきっかけ

人新世のパンツ論④―白のブリーフ呪縛

Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文芸ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論④―白のブリーフ呪縛」。 この度、なんと、昭和期のフクスケ(福助)のブリーフを入手しまして、それを試着してみたわけです。そういう内容です。 昔の小学校時代では、健康診断の時にパンツ一丁(ブリーフ姿)になって身長・体重・胸囲などを測ってくれました。聴診器当てて、異常なし…とかね。 それが突然ですね、小学6年生になって

人新世のパンツ論③―紫から白のブリーフ呪縛へ

“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。 Utaro名義の文芸ブログ[Utaro Notes]を本日更新しました! 「人新世のパンツ論③―紫から白のブリーフ呪縛へ」。 「人新世のパンツ論」の第3弾は、ブロガーひろひろさんがご自身の“腰パン”をご披露しつつ、話題を広げてくれたトピックをかじり、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場する「紫色のカルバン」の話。 あの映画でマイケル・J・フォックスさんが穿いていたそれは、当時中学生だった私の心を