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ご飯を作ることは、命を預かること。

誰かのためにご飯を作るということは、相手の命を預かるということ。

中学校の時の家庭科の先生がそんな話をしていました。

「ごめん、今日は魚焦がしちゃったんだよね。大根おろしも買うの忘れてさ。悪いんだけど、このまま食べてくれない?」

こんな簡単なことを繰り返すことで、私は簡単に夫の健康を蝕むことができる。私のことを信頼して料理を任せてくれている夫は、まさか自分にそんな危険が降りかかっているとは思いもしないでしょう。誰かのご飯を作るということは、それくらい大切なこと。誰かにご飯を作ってもらうということは、命を預けているのと同じことなんです。

家庭科の先生のお話


ここ2日間、なんとなく気分が上がらず、家に引きこもりがちになっていました。

仕事を終えて、家から帰ってきた旦那に「今日は何をして過ごしたの?」と聞かれても、渋い顔で「何もしてない・・・」と返すことしかできませんでした。

実際、この2日間にしたことといえば、晩御飯のための買い物と、料理、洗濯。

noteを書くこともできなかったし、本を読むことも、ゲームをすることもできなかった。最低限の家事だけをして、あとは家に引きこもって、スマホをいじっただけ。

今朝目を覚まして、今日もやっぱり気分が上がらなくて。

旦那を送り出した後も、しばらくぼんやりと考え事をしていました。

私はもともと料理が好きです。瑞々しい野菜を買って、自分の手で調理をして、美味しい料理に仕上げる。この一連のプロセスが大好きでした。

だけど、仕事が忙しくなってからは、料理が大嫌いになりました


料理を作るには、いろいろなことを考えないといけません。

どの献立を作るのか。そのためには何を買わないといけないか。ご飯を食べる時間を逆算して、どの献立から、どの順番で作業をしていくかを考えながら、複数の工程を並行しながらこなしていかないといけません。

心の余裕がなくなっていた時の私には、「たくさんのことをいっぺんに考えて処理すること」がとても難しく感じられました。

大好きだった料理が、本当に億劫で仕方がなくなってしまいました。台所に立って、野菜を切りながら泣き出してしまったこともあります。


だけど今は、当時と比べて少しだけ心に余裕があります。仕事終わりに急いで料理を作る必要はありません。一日かけてゆっくりと料理の用意をすることができます。

時間があるので、最近は近所の八百屋さんで野菜を買うようにしています。八百屋さんでは、瑞々しくて新鮮な野菜を、お安く手に入れることができます。

普段は買わないような野菜を使ったり、いつもよりも多くの種類の野菜を使って料理を作ることができます。

正直、買い物をするだけならスーパーで済ませたほうが楽なんです。野菜だけじゃなくて、お肉やお魚、生活用品もまとめて揃えることができる。あっちこっち移動する必要もないので、疲れることもありません。

だけど、あえて八百屋さんで野菜を買っているのはどうしてなのか。

それは、夫に栄養のあるご飯を食べてほしいから。贅沢はできないけど、限られた予算の中で栄養満点のご飯を食べてほしい。明日も明後日も元気に過ごせるように、ご飯を通してエネルギーをチャージしてほしい。

そんな思いで、八百屋さんに通っています。

そんなことを考えていた時、冒頭の家庭科の先生の言葉を思い出しました。

何もできていないと思っていた。仕事をすることができない自分なんて、社会的に価値がないんじゃないか、もう二度と復職できないんじゃないか・・・

そう思っていた私にとって、この言葉は救いでした。

今日は料理を作った。夫のために、栄養を考えて野菜を買って、料理を作った。夫が、美味しいといって、全部食べてくれた。

それだけで、十分なんじゃないか。栄養満点の料理を作ることで、私はちゃんと、「夫の命を預かる」という責務を全うした。こんなに素晴らしいことはあるでしょうか。


今日も料理を作ります。

夫が毎日元気で過ごせるように。

命を預かるという一番大切な仕事を、私はやっている。

何もやってない、なんてことはない。十分すぎるくらいの仕事を成し遂げているんだ。

少しだけ、自分に対しての自信を取り戻すことができた気がします。


また読んでくれたら嬉しいです🌷

はる




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