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八王子の民話『猿塚』

八王子の民話を読み解くシリーズ第1話目『猿塚』
※参照『元八王子のむかしばなし』元八王子地域住民協議会広報部著

八王子の民話を絵にして読みときながら、
当時の八王子での暮らしや出来事を掘り出してみようという実験。
今回は『猿塚」のお話を取り上げてみる。


①話の流れを読み解いてみる

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「無心」様というお名前のお坊様という事だけど、
「無心」という名前に、このお話の核をつくような意図がありそうな予感。

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お猿が差し入れてくれた八王子の里山で採れた木の実。もしかしたら桑の実なども入っていたかもしれない。

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「大地が大きな音を立ててうねり」とはもしかして、地震かな。
八王子に大きな被害をもたらした地震は、いつ・どこで・どんな被害を起こしたのか、気になる。

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②キーワード調べてみる

続いて「神宮町」「猿塚」など話を読み解く鍵となるワードを調べてみる。

お話の舞台となる「元八王子」と「神宮町」とは、どんなところ?

「元八王子」とは、八王子神社とその神宮寺である牛頭山神護寺(ごずさんじんごじ)から由井郷に至る地域のことをさす。古くから信仰の町として存在していたようで、北条氏照が八王子城を築いたのもこのエリアだった。しかし、江戸時代になって今の八王子市街地のエリアに中心地が移っていったことで、市街地との差別化のためか、八王子の町の「元」となったことから「元八王子村」と呼ばれるようになったとされる。
(参照:八王子市HP「八王子市の名前の由来」)

この民話の中では、「元八王子が神宮町と呼ばれていたころ」といっているので、「神宮町」は、八王子神社や牛頭山神護寺など「神仏を祀る場」として、お坊さんなど信仰に関わる人々が集うまちだったのだろう。

これを調べながら気づいたけど、八王子神社と牛頭山神護寺、つまり「神社とお寺」、「神と仏」が元八王子という同じ村に集うというのがなんとも面白い…

「猿石」ってまだ残っているか?

→次に現地いった時に調べたい。

元八王子付近で大地震はいつ起きたのか?

「元八王子が神宮町と呼ばれていたころ」と言うことなので、おそらく江戸時代以前と考えると、正直なところ詳しい八王子における地震の記録が見当たらない。ただ、例えば近いエリアだと1495年頃、鎌倉大仏殿に津波が入ったとされる相模トラフを震源とする地震が発生した記録がある。そもそも、地震ではなく、火山の噴火の可能性も考えられるかもしれない。

民話は必ずしも事実に忠実ではない。けれど、東北における津波の歴史を民話がよく伝えていたことが、2011年の大震災のあとに明らかになった。民話が、その土地の地理的特徴を暗に示すことがあるといった点を考慮に入れると、詳細を調べていないのであくまで仮説の域でしかないけれど、猿石と地震の関連についてよく調べることが必要なように思えてくる。

次回、元八王子に行ったら詳しく調べてみたい(調べが進んだら、きっと更新する)

■参照
・八王子市HP「八王子市の名前の由来」
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/002/p005301.html
・内閣府「平成22年度版防災白書」「我が国で発生する地震」等

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