見出し画像

私を見せられなきゃ伝えられないよねって話

こんにちは、ジュンです。

みなさんは自分の気持ちを伝えられなかったという経験はありますか?

私は今でこそ、気持ちを誰かに伝えたり行動したりできるようになりましたが、若かりし頃はそういうことが全くできなかったんですよね。もちろん今も十分とは言えませんし、相手に伝わっているかと言われると「否」なのではないかと思っています。

最近なぜか私の気持ちを伝えられなかった頃のことをよく思い出すんです。

あのときこうしていれば、今はもっと違う世界にいれたんじゃないかって。

ないものねだりなのか、なんなのか。

この記事を読んでくださる方の中にも同じような体験をされた方もいらっしゃるのでしょうか。私にとっては苦い思い出です。

私の気持ちを何一つ伝えられなかった人

高校を卒業したあとも同級生たちとは休みのたびに遊ぶ機会がありました。

その中には同級生が連れてきた見知らぬ男性もいたんですよ。

彼は会社経営者の三男で海外留学もしていた人。
ですが、学力がとても素晴らしいというわけではなく市内の高校に進学していたらおそらく中の下あたりの学校だったのではというくらいです。(失礼ですいません)

でもとても優しくて紳士的、さすが海外で過ごしていただけの人なんだろうなという感じで好印象の方でした。

あるとき、その彼から告白されたんです。

私は印象も良かったし、この人と一緒にいられたら絶対楽しそうだし幸せだろうなと思いました。

お付き合いするかどうかは別としても、長くいい関係を続けられたらうれしいなと思える人だったんです。

なのに!

告白してくれたとき、私は一言も言葉を発せずに終わってしまいました。

以前の記事にも書きましたが、私は自分の気持ちをかなり強く押し込めることがデフォルトで、人に伝えるなんてもっての外!だったんですね。

加えて私に受け取るだけの器がなかった。彼の申し出を受けた後の私の姿が見えなかった。見えなかったというより見ないようにしていたんだと思います。

自己肯定感の低さ、自分のテリトリーを抜けていくことへの恐れ、そして恥ずかしさ!笑

この恥ずかしさはマルッと素の私を見せることへのもので、この頃はありのままの私なんて誰にも見せられないと思っていたんですよね。

なので、結婚なんてもってのほか、家族以外の人との同居だって無理!って思ってました。

今は「惜しい人を逃したなぁ」と懐かしむくらいになっていますが、当時は何も言えなかった自分を責めまくり、心の中で彼に向けて謝ってました。

人見知り、引っ込み思案、恥ずかしがり屋、言い方はいろいろありますが、根底は素の私、ありのままの私を見せられないということに通じていると思います。

もし今あのときに戻れるなら私はちゃんと気持ちを伝えたいと思うんです。

まぁそれは無理な話なので、これからの人にはしっかり気持ちを伝えたい。
今はそれが大好きな彼なんです。

「自分の意見を何も言わない」と言われ続けた過去

これも以前の記事にも書きました。
友達にも言われたし、上司にも言われたこと。

自分では全くの無自覚で「なんでそんなこと言われないといけないの?」としか思いませんでした。

伝える必要があった場面も思い出せないし、伝えることがないのにいつ伝えるんだろうと。

私の中で変わったなと思ったのは、認定看護師の資格を取ってからです。

今までの業務にない、まっさらなところに新しい業務を作り上げていく。それが私の仕事になってからです。

なぜそれが必要なのか
それをするとどうなるのか
私にできることは何か
サポートして欲しいことは何か
病院全体で考えて欲しいことは何か

業務がある程度確立してからも細かい修正、新しい知識を実践に落とし込む過程の指導やサポートなど、あらゆる場面で私が発言する機会が増えました。

それからは、どんな意見も相手によらず伝える作業を繰り返していかざるを得ませんでした。

でも伝えるようになって思ったのは、私の意図を正確にくみ取ってもらえるように伝えるのって難しいなということでした。

このあとも「自分のことを言わない」と上司は言ったけれど、おそらく伝え方を学ぶ段階だったのかなと思います。認定看護師となってから、さらに私の気持ちや考えを人に伝えることが私の課題だったように思います。

伝えているつもりなのに伝わっていなかったのかもしれませんね。

伝えるって難しい

過去の経験からも伝えることは私にとっての課題だったわけですが、未だに課題は終わってません!笑

セラピストの活動をしていく中でとても痛感しているんです。

私の思いを発信することって難しい、伝え方って難しいって。

人の心に届くように上手に伝えられる人もたくさんいると思いますが、私にとってはとても難しいんです。

上手に表現できないとか、言葉の選び方がチグハグになりやすいとか、言葉に私の思いが乗せにくいとか。

きれいに見せたいとか、雰囲気や体裁を気にしているのか、こうでなければならないというものに縛られているのか、それら全部なのか。

何かを伝えるには「私」というものがある程度確立していないと伝えるものがあやふやになりやすいですよね。

どんな私を見て欲しいのか
私が伝えたいと思うのは何なのか

完璧である必要はないけれど、私自身の中で「これ!」という何かを見つけられたら伝える力も増してくるんだろうなって。

きっと私の中から湧き上がってきたものなら自然と届きやすいメッセージになるんだろうと思うのですが、無理矢理絞りだそうとしている言葉は誰にも届かないだろうなと思うのです。

そして有紀さんから言われたことが蘇ります。

私は発信をしたいんだろうか?
もちろん伝えようとしなければ誰の目にも留まらないし、私の存在に気づいてもらうことはできません。

私も呟きたくなることもあるので、それが誰かに伝わるといいなと思っています。

でもカタコトの言葉よりは、関わりを通して私という人を知ってもらえたらもっと嬉しいなと思うのです。

それは伝えることが苦手ということもありますが、関わりを通しての方が素の私を伝えられるのではとも思うし、私の鎧も一緒に脱いでいけるのではとも思ったりします。

私は今重たい鎧を脱ぎ始めたところです。
その過程で伝えたいことが溢れてくるかもしれません。身軽になりたいと思う誰かに向けて。

では、また😊



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?