宇佐見りん「かか」(読書メモ)

 宇佐見りん「かか」[2019年]、『かか』河出文庫(河出書房新社)、2022年、7-136頁の読書メモ。
 宇佐見りんを読むたびに、テクストとは運動そのもので、読むとは巻き込まれることなのだという思いをつよくする。読みはじめて少し経つと、テクストの立てる波が、そのリズムが、感知できるようになる。そのリズムに慣れてくれば、あとは波に乗るだけだ。波に乗っているようでもあり、漂流してもいるような、能動性と受動性が綯い交ぜになった態勢へとそのまま導かれてゆく。苦痛がそのまま快楽となり、憎悪と愛情が等しくなるトランス状態へと。ひょっとすると、読むとはそうした営みであるのかもしれない。だが、宇佐見りんは、その空間をも通り抜けてゆこうとする。私が同時に誰かでもあり、子が親でもあるような空間の先へと。幻想を通り抜けた先にしか見えてこない生へと。


キーワード/テーマ

  • 信仰:28, 31, 33, 73, 92, 130, 131頁

  • 祈り:108頁

  • 妊娠(「にんしん」)、産むこと、産み直すこと→苦しみの世界に産み落とすのではなく、救済としての産むこと。cf. 106-107頁

  • 痛み:23-24, 41 (cf. 57)頁

  • 異国:90頁

  • ミソジニー/女であること:66, 69頁

  • ケア/ヤングケアラー

  • :72-73頁

登場人物

  • うーちゃん(「うさぎ」)

  • うーちゃんの弟:「おまい」、「みっくん

  • かか:自傷的、家族の前でしばしば号泣し、物に当たり散らかす。

  • とと:不倫し、かかとは離婚。養育費をたまに払いにくる(62-68)

  • 明子:母(夕子)を幼少期に亡くす。うーちゃんの従姉。明子の父はアメリカに単身赴任(72)。「明子の目が強いのは自分がいっとう不幸だと信じているかんです」(72)。「自分の境遇よりましだと周囲を一蹴してしまう」(72)。

  • ババ(祖母:かかと夕子の母):認知症。途中、かか、うーちゃんのことが分からなくなる(「おまいさんたちは、いつからここで働いてるんだい」:98)。よくかかと喧嘩するが、かか=うーちゃん視点だと、夕子のほうをより愛していたようである(cf. 55-56)。

  • うーちゃんが所属するSNSのコミュニティ(推しのコミュニティ?)

冒頭

そいはするんとうーちゃんの白いゆびのあいだを抜けてゆきました。やっとすくったと思った先から逃げ出して、手のなかにはもう何も残らん、その繰り返し。(9頁)

形式的な特徴

  • 語り手=一人称=「うーちゃん」

  • 一人称が三人称(自分のことを「うーちゃん」と呼ぶ)→一般的には幼さ、未成熟のしるしであるが、むしろここでは自己の対象化・客観化をおこなっているようにみえる。

  • おまい」(二人称)=弟がしばしば登場し、「おまい」に宛てられた文章、という形式をとって全体が展開される。

  • 文体は口語体(弟へ宛てられているので)。方言が強い。にもかかわらず、明らかにオーラルでは現れない語句や表現が登場する。独特なオーラルとそれとは異質な語彙との混合が大きな特徴か:「かかに対する信仰を懐疑し始めました」(28)。

重要な箇所

うーちゃんの信仰、希望、願い

うーちゃんは誰かのお嫁さんにもかかにもなりたないと思うようになったんです。(28頁)

みっくん、うーちゃんはね、かかを産みたかった。かかをにんしんしたかったんよ。(19頁)

それに気づいたとき、うーちゃんははじめてかかをにんしんしたいと思ったんです。しかしそこらにいるあかぼうなんか死んでもいらない、かかを、産んでやりたい、産んでイチから育ててやりたい。そいしたらきっと助けてやれたのです、そいすれば[……]。(106-107頁)

→※直前の箇所の一連のシークエンスが本書の白眉か。ババの発言(98)にかかがショックを受けて泣き叫ぶ。直後、うーちゃんの想起・想像・幻視のシーンが展開される。読み飛ばすことも読み流すこともできない。

かかを不幸にしているのは自分なのではないか

かかをととと結ばせたのはうーちゃんなのだと唐突に思いました。うまれるということ、ひとりの血に濡れた女の股からうまれおちるということは、ひとりの処女を傷つけるということなのでした。かかを後戻りできんくさしたのは、ととでも、いるかどうかも知らんととより前の男たちでもなくて、ほんとうは自分なのだ。かかをおかしくしたのは、そのいっとうはじめにうまれた娘であるうーちゃんだったのです。(83-84頁)

よそ・異国(うーちゃんがむかう熊野)──旅・逃走の先

異国というのはそもそも長く滞在すると消えてしまう架空の場所です。自分が生まれ住んでしまったら異国にはなり得ん。記憶と想像のあわいにしかないような場所、決して住み着くことはないだろう場所だかん、旅先をここに決めたんです。(90頁)

信仰

ずっと思っていたことがあるんよ。人間が信仰を捨てることはままある、そいでも信仰を取り戻すことなんてできるんでしょうか。何かをふたたび信仰することはできるんでしょうか。(92頁)

そいして、明子が外泊するたんび、ととがかかの彼氏だった頃の話をババに聞かされるたんび、うーちゃんはだんだんかかに対する信仰を懐疑し始めました。つまり自分がどういう過程を経て生まれたか思い知らされました。うーちゃんは誰かのお嫁さんにもかかにもなりたないと思うようになったんです。(28頁)

痛み

うーちゃんはもうそんな昔っから、他人を他人のまま痛がることができないんでした。身内は別です。何も血縁さして言っているんではありません。身内っていうのは、身のうち、つまり自分のからだでしょう。うーちゃんは相手をからだに取り込んだときにだけ、そいを自分として痛がることができるんです。(24頁)

[ピーラーで腕を怪我したかかを治療した様子を思い出して]
自分の腕を空気にさらして手首に押し当てながらひじのほうまでずりあげる映像が浮かんでしまい激痛で動けなくなりそうなんをやり過ごしました。それは本当の痛みにちかかった、かかの痛みは望むと望まざるとにかかわらずうーちゃんに乗り移るんです、前にそう言ったときおまいは信じられんかおをしましたが、本当のことです。(41頁)

ミソジニー/女であること

修学旅行の班分けのとき、くじで一緒になったうーちゃんたちに聞こえるように大声でハズレと言ったり、女性の教師たちをヤれるヤれないと仕分けたりしてた男子生徒たちに感じるんと一緒です。話を聞いたとたん、悪いと思う間もなく、親しんでいたはずの教師たちの顔が頭のなかできゅうに別の顔をしだしたんを覚えています。どんなに知的で自立した女の人であっても、たった一言であほらしい猥談のなかに取り込まれてしまうんがどれほどまでに悔しいことか、おまいにはわかりますか。(65-66頁)

……うーちゃんはにくいのです。ととみたいな男も、そいを受け入れてしまう女も、あかぼうもにくいんです。そいして自分がにくいんでした。自分が女であり、孕まされて産むことを決めつけられるこの得体の知れん性別であることが、いっとう、がまんならんかった。男のことで一喜一憂したり泣き叫んだりするような女にはなりたくない、誰かのお嫁にも、かかにもなりたない。女に生まれついたこのくやしさが、かなしみが、おまいにはわからんのよ。(69頁)

うーちゃんの幻視

もう手遅れなんです、うーちゃんはいつかかかを殺してしまう。物理的には殺さんよ、そんなことはしないしできないけんど、そいでもひとりにして、どっか遠くのわびしい町に収容してしまう。だんだん誰にも散歩に連れていかれなくなったホロみたいに、飽きて病院に見舞いにもいかなくなって、淋しいと泣かれるとどんだけ仕事がいそがしいかたいへんかおまいにはわからんときっと怒鳴ってしまう。かかが淋しいとうーちゃんも淋しいかんどんどん足は遠のいていらいらしてにくんでにくんで、何年か経ったあるとき唐突にかかが死んだというしらせがとどく、あわてて電車にのってのりついで、死んだのはうーちゃんじゃないんに走馬灯のようなものを見る。たぶんかかが死ぬのは気いくるいそうなぐらいにおだやかな春の日な気がします、流れる景色をぼおッと眺めてるとまだ明子がいなかった春の記憶がたち現れるんです。そいは桜の木の下で花粉症で鼻をずうずういわしながらあったかい黄いろい日の光にあたってみんなでかかのお弁当食べている記憶です。子どもでも食べられるようラップでひとつひとつくるんでつくった一口大の「ころころおにぎり」をおまいがかんしゃく起こして投げ出すと、ととは春のぬくい泥水にまみれたそいをまとめて拾い上げ、涎で濡れた唇に無理やりおしつけて、たべろ、と怒鳴ります。(106頁)

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