花野へ
紀元前三世紀
江南の詩華集『楚辞』は
香草、薬草でいっぱい。
ラン、モクラン、カキツバタ、
メボウキ(バジル)、シナモン
フジバカマ……
神々の降臨を願って
巫(かんなぎ)たちが舞い歌う
「九歌」にも、水辺に香る四季の草花。
なかに唯一、香草が不在の「国殤(こくしょう)」は
国の戦で命を落とした勇者への頌歌。
原文は、七言十八句。
すべての句の四言目に配された
感動の助辞「兮(けい)」に
舞い手の身体は
躍動する。
乂 * 乂
国殤
【巫たちの合唱】
呉の国で作られた
青銅の鉾を手に、
身には、犀皮の厚い鎧。
四頭立ての戦の馬車は
敵味方、互いの轂(こしき)をぶつけ合い
戦士たちは車から身を乗り出して
刃(やいば)をふるう。
軍旗は日輪を覆い、敵は沸き立つ雲のよう。
敵の矢、味方の矢、矢は乱れ降り
兵らは、我さきに敵陣へなだれ込む。
【国殤、歌い舞う】
敵は、我が軍勢を凌ぎ、進軍を阻む。
左の馬は倒れ、右の馬は傷ついた。
車輪を埋めて固定し、四頭の馬はつないで
退路は断った。
玉の枹(ばち)で
太鼓を打ち鳴らそう、
退却の銅鑼ではなく、
進軍の太鼓を!
【巫たちの合唱】
時季を違えた戦いに*
威力(ちから)ある神々は怒り
兵士らは一人残らず殺されて
亡骸は野に棄てられた。
陣営を出(いで)て戻らず
出征した故郷に帰ることもない。
家路は遠く、顧みられぬまま
荒漠たる大地に屍をさらすばかり。
*『呂氏春秋』十二紀、また 『淮南子』巻五「時則訓」
【国殤、歌い舞う】
長剣を腰に帯び、
秦の見事な弓を脇に手挟み
首と胴とが在り処を異にしても
心が屈することはない。
【巫たちの合唱】
まことに勇敢なあなた、
戦術に長けた驍将。
だれもあなたを打ち負かせない。
身体は滅びても精神は神々に列し
あなたは死者たちの王となる。
乂 * 乂
「私は死者たちの王であるより
貧しい農民に雇われた卑しい牛飼いでいたい」
黄泉の国で "影" たちの王となった
トロイ戦争の英雄アキレウスが捧げる
生へのオマージュ(『オデッセイア』巻Ⅺ )。
陽光あふれる世界
今年も葡萄は豊かに実り
気を養う草の香を孕んで
吹く風は馨しい。
「国殤」に続く
「礼魂(れいこん)」は
『楚辞』九歌の終曲、
(あるいは序曲とも……)
四季の経巡りとともに在る生を寿ぐ
巫女(かんなぎおみな)の
舞と歌、全五句。
礼魂
【巫女たち、舞い歌う】
祭礼を執り行い、太鼓を打ち鳴らそう。
花を手渡しては交互に舞って
美しい乙女らは、おおどかに歌う。
春には蘭、秋には菊
祭祀は絶えることなく、聖なる時は永遠。
乂 * 乂
丈高く香る草のあいだを
見え隠れ、尻尾を立てて
猫たちがトコトコと行く
<善きもの>を求めて。
季節(とき)は秋。
戦の庭の彼方に
香草の花野。
*表題画像、フジバカマ eupatrium japonica は
『楚辞』の詩人・屈原が愛した”秋蘭”ともいわれる。