五月の海へ
五月一日、うるう年なら
立春から数えて八十八日目
夏も近づく八十八夜。
五月一日は
フランス猫たちにとっても、ちょっと特別な日。
春分から夏至までの三か月をほぼ二分するこの日、
猫たちは大切な相手に ”幸運のお守り ♡ スズラン” を贈る。
小さな造花を飾ったチョコレートの植木鉢も美味しいし
お花屋さんの店先に整列したコたちも立派だけれど、
猫たちは、木洩れ日の ”森のスズラン” !
パリ市の門を一歩出れば、森と広野、
イール・ドゥ・フランスの野に
ロワールの岸辺の森に、若い緑を求めて
中世の猫たちも、野遊びに。
牡羊座から双子座へ星々は移り、
季節は、春から夏へ。
十五世紀、貴公子たちは若葉を身につけて
恋の始まりに胸高鳴らせ、妙齢の娘たちは
”五月姫” となって彼らを迎える。
ベリー侯も愛した青春の饗宴。
新緑にむせる村々でも
若い猫たちは意中の相手の住む家の
戸口に若木を立てかけて
「♩家族になろうよ〜ニャ〜」
十六世紀、フランス・ルネッサンスは真っ盛り、
一年中で一番美しい月を猫たちは歌う。
ロワールの城館フランソワ一世の宮廷では
流行の最先端、イタリア生まれのマドリガル、
パリの街角では、多声楽曲 ”シャンソン”
いまを生きるよろこびに弾け
すぐそこにある幸せを待つ
もどかしい若さにあふれて。
🍀
五月、猫たちは旅に出る
春と夏の間(あわい)の海が好き。
チビ猫のころからユースホステルのある
岬を選んで(お宿に困らニャイように!)
よく旅をした。
三好達治の詩を想ってかニャア……。
「海(mer)」と「母(mère)」とは
フランス語では同じ音。メール /mε:r/ ―—
カルチェ・ラタンの路地裏に住む
半ノラ子猫の海は紺碧、地中海。
「我らが海 mare nostrum」
古代ローマ猫の真似をして。
そうと決まれば、尻尾を立ててパリ=リヨン駅へ。
マルセイユ行の電車にちょこんと乗りこんで
終点で乗り換えたら、海沿いの鉄路を東へ。
荷物を置くなり
ニャーとお宿を飛び出して
宵の八時を過ぎても
なお暮れなずむ浜辺を
尻尾ユラユラお散歩猫。
汀に立てば、夕凪の無風の風。
海と空との深みから
オーボエが馥郁と響き
波は夕陽に映えて
降り注ぐ金管の煌めき。
ハープやリュート、ヴィオラ
潮騒は、絃の爪弾き。
モンテヴェルディ Claudio Monteverdi (1567-1643)
『聖母のための夕べの祈り Vespro della beata Vergine』 (1610)
🍀
夕べの祈り vesproは、「晩課」
時祷書に、暦とともに収められた
「聖務日課」の日没時の祈り。
モンテヴェルディが数年後に楽長となる
サン・マルコ大聖堂ならずとも、十七世紀、
あちこちの教会堂で聖歌隊席は拡張され
オルガンとともに器楽演奏も典礼音楽に
多く用いられるようになっていく。
『聖母のための夕べの祈り』全十四曲 中
第九曲は歌と楽器で奏されるコンチェルト
「聞け、蒼天よ Audi, caelum」。
歌われる詞は聖書の引用でもなければ
教会の祈禱文でもない。
のちのオペラに大きく影響した
音楽寓話 favola in musica 『オルフェオ L'Orfeo』(1607)の
作曲者にふさわしく、構成はどこか演劇を彷彿とさせて。
前半は、二名のテノール(中音域)による男声二重唱。
テノールⅠにテノールⅡが ”こだま ” で応える。
「喜び gaudio」と「聞いている audio」
単に語の一部分を繰り返すだけではなく
”こだま” は自らの思いを告げる。さらには
中性名詞「mare 海」は、横着猫向き。
主語 ”主格”も、呼びかけ ”呼格”も
直接目的 ”対格”も、すべて同じかたち(ニャハハ)
単数なら mare 、複数なら maria。
先唱者が「幾多の海を」と歌うと
”こだま” が 語の一部ではなく
全体を繰り返したことから
先唱者は同じ音列を、今度は
「呼びかけ(呼格)」として歌う。
おとめマリアよ!
死を払い、いのちの光もたらす東方の 門、
類まれなる癒し手、罪あるものと
神との全き媒介(なかだち)……
テノールⅠの華やかな母音歌唱と
それを支える器楽合奏に導かれ、
六声の合唱が始まり、曲は後半へ。
テノールⅠ,ⅡとアルトⅠ,Ⅱにバスとソプラノ
中音域中心の編成で歌われる詞は力強く躍動し
新たに「晩課」の一となった第九曲は
祝福のうちに終わる。
ルネッサンスからバロックへ
西欧音楽史を画した『聖母のための夕べの祈り』
全曲の終結部は受け継がれてきた「晩課」の次第を踏襲。
聖母讃歌「めでたし、海の星 Ave maris stella 」と
聖母感謝唱「マニフィカト Magnificat」を最後に
薄暮の『祈り』は、夜の静寂へと収斂していく―—
壮麗な楽曲の伽藍を、猫たちの魂と
残照の海に刻して。
🍀
共和制ローマがようやく掌中にした海軍力を誇り
地中海をついに「我らの海」と呼ぶにいたったのは
紀元前30年ごろ。
西はジブラルタルから、東はパレスチナまで
エジプトでは至宝アレキサンドリア図書館を臨み
巽風(シロッコ)吹く北アフリカの岸を洗う
神話と伝説の海は、歴史の海。
善きものとその欠如の狭間を右往左往する
ニンゲンたちの土地に周りを囲まれて。
かつて(*)カルタゴの 、いままたガザの
廃墟の彼方には、水の揺籃。
(*) B.C. 149-146 第三次ポエニ戦争
丘の上の都市は礎にいたるまで破壊され
ついには火を放たれて、滅んだ。
海は、一切の感情移入を拒み
風と太陽をたゆたわせる。
自らは語らず、吾子のかなしみに
ただ耳を傾ける母のように。
海よ、母よ ―—
いのちを胎に宿したとき
ひとりの女性は母となり、
いのちを心に抱きしめるとき
だれもが<母なるもの>となる。
🍀
春まだき、南仏の二月の海は
ミモザの海であったのに
五月の海辺の小径には
マンネンロウの瑠璃の滴り
マンネンロウ Salvia rosmarinus
癒しの草は、露 ros+海の marinus
ローズマリー、海のしずく。
二千年の昔
生まれたばかりの赤ちゃんと
迫害を逃れて海沿いの道を行くうち
母マリアは疲れ、外套を
路傍の灌木にかけ置いて
しばし体を休ませた。
爽やかに香る丈低い木に咲く
小さな花の白は、爾来
誠実の宝石サファイアの
青紫になったとか。
ねこじゃら荘には
スズランのかわりに
恥ずかしがり屋のナルコユリ。
かたわらには、ローズマリーも
淡い花色に匂って。
五月、
すべての母たちと
<母なるもの>の月
―— マリアの月。
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