「若い心臓」
ジブリ作品『ハウルの動く城』で
魔力を失い、老いた姿に戻った
”荒れ地の魔女“がいう。
「若い心臓はいいよ」
美輪明宏さん。
郷愁と憧憬の響き合う台詞回しに、子猫は
三十歳の若さで星々の世界に旅立った
ローマの抒情詩人カトゥルスを、ふと思う。
「若い心臓」
紀元前一世紀、
カトゥルスは、ヴェローナの名家に生まれ、
首都ローマで華やかな日々を過ごした。
カエサルより一回り余年下で、親交もあった。
まさにローマは、
共和制から帝政への移行期。
質実剛健の気風に育った少年少女は
青年の男女となって紺碧の海風に誘われ
清新な官能の世紀へと飛翔する。
カエサルの家の祖、
愛と美の女神ウェヌスの
甘美な加護のもとに。
* * *
カトゥルス作の百十数篇を収めた巻の冒頭、
序詩に続く一篇は、雀と戯れる恋人を歌う。
雀よ、私の大切なひとの悦楽(よろこび)
おまえを胸に抱いては、指先を啄ませる
「大切なひと」の名は、レスビア。
エーゲ海に浮かぶ伝説の島レスボス、
抒情詩人たちの夢見る島を思わせる
仮の名を与えられたこのひとは、
水の面にさんざめく光のように、
魅せられて近づく人々に、惜しみなく
その美を分かち与える女性であった。
すこやかさに輝かんばかりのレスビアは
小鳥のくちばしの鋭い痛みを指先に感じては
満たされぬ思いを紛らわせているのだろうか。
青年にはわからない。ただ、やるせなさは、彼も同じ。
雀よ、ぼくも彼女のように、おまえと戯れ、
この悩ましさを忘れることはできないものか
そしてある時、若者はその煩悶を乱調に託して叫ぶ。
私は憎み、そして愛している
そんなことがあるのかと、君はいうけど
自分でもわからない。でも、そうなんだ
まるで拷問だ。
南欧の鮮烈な日を浴びて
野辺に花は笑み、樹々は果実にたわむ。
さかりの季節の美しさのただなかで
「何を好んで」
「よりにもよって」と
人はいう。
「時間を有意義に使え」とも。
とはいえ、いまこの時をのぞいて
生きて在る時は、ない。
いのちは、きっと刹那の集積。
カトゥルスは、カエサルの演説の、
あの「来た、見た、勝った」を思わせる力強さで
つかの間の逢瀬を謳う。
相手は、浮気なレスビア、けれど
詩人がすべてを賭して欲する人。
生きよう、私のレスビア、愛し合おう。
大人たちのお説教など
三文の値打ちもありはしない。
陽光は消えても、またよみがえる。
ぼくらのいのちの短い光がひとたび消えれば
あとは夜。果てしない眠りが、ただ続くだけ。
与えよ、わたしに、千の口づけ、それから百
も一度、千、二度目の百
古代ギリシャやローマの人々は、わが身の幸運を誇ることを畏れた。
幸せを数えあげたりすれば、たちまち魔に魅入られ、運は尽きる。
それなら、古来の戒めを奇貨として、誰にも数えられないほど、
愛する人よ、口づけを交わそう。
与えよ、わたしに、千の口づけ…
Da mihi basia mille…
「若い心臓」が鼓動する。
老いと若きの心が
時空を超えて
共振する。
* * *
”ねこじゃら荘”の本棚の『カトゥルス集』は
装幀を施すまえの仮綴じ本、
ペーパーナイフでページを開いては
読みすすむ。
その裏表紙の
くすんだ朱色についた爪のあと、
うっすらと毛羽だった長い四本と
短い何本か。
だれかが、爪をといだのね。
カトゥルス Catullus から”l" をひとつ引くと、
Catulus、音は同じカトゥルスだけど、
「動物の仔」という意味だとか。
チビ猫も、だから、カトゥルス。
ところで
さっきから、そこで
前足をナメナメしては
お顔を洗っている……
ご本で爪をといだのは、
もしかして
あなた?