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No.230:不本意な誤解

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あけましておめでとうございます。
本年もパンダのつぶやきによろしくおつきあいくださいませ。

先日、母と後楽園ゆうえんち(現・東京ドームシティアトラクションズ)の前を通る機会があり、観覧車やらジェットコースターを間近にながめて、懐かしい気分を味わっていました。

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母に「あんたって、ほんと遊園地に行くと地味な乗り物、くるくる回る舟とかしか乗らなかったわよねー。ビックリハウスとか鏡の館とか、変なもんが好きだった」と昔語りをされたのですが、幼い自分がそれが好きだった覚えはない……しかし「確かにそれらに乗った記憶はある」ので、当時の状況を思い出して解説したのでした。

実家は比較的アクセスのいい遊園地が数軒ある立地で、遊園地は割と気軽に連れて行ってもらえるところでしたが、あまり楽しかった思い出がありません。というのも、その当時乗り物にのるのにチケット制だった(今の遊園地をしらないので今はどうなのか知りませんが)ので、10枚つづりのチケットを手渡されて、好きなものに乗っておいで、と言われるわけですがこれをいかに使うか、がその当時まったく楽しめなかったのです。
 当然すべての乗り物が1回1枚なわけではなくて、ジェットコースターやフラワーなんとかみたいな、やたら揺れる人気のアトラクションは1回で4枚とか5枚とかかかるわけです。派手目のものに乗るとすぐチケットがなくなってしまうし、どうやらこれで遊べということだから、なんとか一日楽しむためには…と、色々考えたあげく、1回1枚のアトラクション、そう!まさに船の回るやつとか、びっくりハウスとか鏡の館ですよまさに!、を地味にまわっていたわけです。

今考えてみるに、その綴りがなくなったら、「なくなったから買って」、といえばよかったわけですが(別にそれ以上買ってあげないとは言われてない)、なぜかその頃の私は、なんとか与えられた中で最大の効果を得なくてはと思い込んでいたようだし、そもそも決められたお小遣い以上のものを「ちょうだい」というくらいなら「あきらめる」という方向にいく性格でした。
 そのチケットのやりくりの一番楽しくなかったところは、それらの地味なアトラクションはキライじゃなかったから乗れるのは嬉しいのですが、一日の終わりに「乗りたいものに乗れた」とか「遊園地に来たぞ」という感覚がなかったのですよね。一応最後2枚だけ取っておいて、〆に観覧車に乗ることでバランスを取っていた記憶があります。

こんな、子供らしい、というか子供らしくないというかな考えに満たされる1日になるので、あんまり遊園地は好きじゃなかった。そう、だから決してその地味アトラクションが”妙に”好きだったわけではないのですよ、おかーさま。

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