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映画「メタモルフォーゼの縁側」が思い出させてくれたこと

先週末、アマゾンプライムで映画を観た。

夫チョイスで「メタモルフォーゼの縁側」

え〜、漫画が原作のやつ〜…、などぶつぶつ文句を言ったのも束の間、初盤から映画の世界にどっぷり入りこんでしまった。

本屋でアルバイトをしている、さえない高校生・うらら。ある日、そこに老婦人・雪がやってくる。目当ての料理本が見つけられなかった雪は、ふと目に入った、美しい表紙のBL(ボーイズラブ)漫画を購入する。
男性どうしの恋物語にすっかり夢中になる雪。BL大好きなうららにさまざまな漫画をおすすめされるうち、ふたりは大の仲良しになる。

終盤、漫画家・コメダ先生のサイン会で、雪が言う。
「この漫画のおかげで、私たち、友達になったんです!」

なんだか、いまの私にスーッと沁みた。





私は、ずっと文章を書くことが苦手だった。

日記を書くのは好きだったが、作文がイヤだった。自分が考えていることを親や先生に知られてしまうなんて…。超・恥ずかしい。だから、いつも「大人に及第点をもらえるか」ということだけ意識してテキトーに書いた。我ながら、いやらしい子どもだったと思う。

高校生になってもそれは変わらなかった。

ある日、現代文の授業で、外国について書く、という宿題が出た。
面倒だなぁ、と思いつつ、私は当時刊行されたばかりの『世界がもし100人の村だったら』をベースに詩を書いた。
戦争反対って言ってりゃいいんでしょ、という気持ちだった。





私が書いた文章は、学年みんなが読む文芸誌に掲載された。

「載ってるよ~」と友達に声をかけられて得意になったのもつかのま、同じページに掲載されているクラスメイトの文章を読み、私は愕然とした。

細かくは覚えていないが、それは「テレビで戦闘シーンが映っていた。子どもが、泣きさけびながら逃げていた。私は、それを見た。そして、そのまま、こたつで寝た」という内容だった。

私のこざかしい文章と、かざらない文章をあえて並べて掲載した、先生の意図など知るよしもない。いま思えば、私になにかを示唆してくれていたのかもしれない。でも、私は、自分の「こういうふうに仕上げればいいんでしょ」という高慢さを見透かされた気がして、ただただ恥ずかしかった。

帰宅してすぐに、文芸誌をゴミ箱の奥ふかくに沈めた。

なかったことに、したかった。





変わったのは、つい数年前だった。

はじめての出産と子育て。人生の一大ライフイベントの最中は、ずっとコロナだった。毎日、誰とも会えず、誰とも話せない。小さな娘との孤独な日々。赤ちゃんは騒々しいけれど、孤独ってしずかなんだなぁ。そんなことを思った。初めて、自分の気持ちを正直に書いてみたくなった。授乳とおむつ替えと家事で忙しかったけれど、あれこれ考える時間は十分にあった。

気づけば、何十かのnoteを書き上げていた。





今年に入り、片づけレッスンの募集をした。でも、顔も知らない人にレッスンを申し込む人なんて、きっといないだろうな…ダメで元々という気持ちだった。

ところが、複数の方から連絡があった。

仰天した。

私の文章…。読んでくれる人がいたんだ。

レッスンはできなかったけれど、丁寧なメッセージをくれた人。
職場近くでいっしょにランチをした人。
さらに、実際にモニターレッスンを受けてくれた人(いまなお継続中)

自分の気持ちを正直にさらけだして、誰かとコミュニケーションできることは、とても心地よくて、心の奥底から幸せで、たのしいことだった。





「漫画かくの、たのしい?」と尋ねる雪に、うららはこう答える。

「あんまりたのしくはないです。自分の絵とか、見ててつらいですし。」

わかる。書いている最中、ほかにもやるべきことたくさんあるのにいったい何をやっているのかと自問自答する気持ち、仕上がりをみて、恥ずかしくて死にたくなる気持ち。

それでも書き終えたあとの、なんともいえない気持ちも。

うららはこう言うのだ。

「でも、何かやるべきことをやっている感じがするので、悪くはないです」

うららの漫画は、たくさんの人に読まれることもなければ、コンテストで入賞するわけでもなかった。

それでも、ラストには思いがけない展開が待っていた。

自分を表現することで、どんなメタモルフォーゼ(変身)が起こるか。

それは誰にもわからないのだ。

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