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こんまりさんのレッスンを受けてから11年が経ちました


ひさしぶりにこんまりさんのお名前をニュースで見た。第三子を妊娠されたらしい。おめでとうございます!

こんまりさんのレッスンを受けたのは2010年のこと。あれから11年が経った。

当時のわたしは仕事ができないひよっこ新入社員で、毎日先輩にしかられ、朝から晩まで泣きながら働いていた。なにかを変えたい。たまたま会社の先輩がこんまりさんの友人で、「乙女の整理収納レッスン」(たしか当時、そういう名前だったと思う)を紹介してもらったのがことのはじまりだった。

品川駅直結の高級マンションのラウンジでコンシェルジュに紅茶を出してもらい、レッスンの説明を受けた。今から思うと安すぎるくらいなのだけれど、6-7回程度の個人レッスンをすべて受けると、7万円くらいになるという。怖気付くわたしにこんまりさんは、そっと片手を重ねてこう言った。「だいじょうぶ。絶対に後悔させないから」

はたして、人生は激変した。180度、いやそんなじゃ足りない、360度、540度?あんなにも価値観を揺さぶられ、人生が一変した体験はあとにも先にもない。ときめくものだけを持つ、というのがもう説明するまでもない彼女のセオリーなのだけれど、そんな考えをまったく持たずに生きてきたわたしには、すべてが目から鱗だった。

汚くなるから、と黒しか持たなかった小物はすべて捨てて、ピンクやオレンジへ。上京時、親に適当に買ってもらったリネンや食器類は、厳選したお気に入りのものへ。ついでにときめかない会社も辞めた。大学卒業時、「ここで働きたい!」と思う会社なんてまったくなかったのに、ビビビッ!ときた某外資系メーカーへ転職。性に合っていたようで、今も働いている。この人だ、と確信したパートナーと出会い、結婚もした。

「もらったから」「親や先生にこう言われたから」「みんながこうしてるから」ではなくて、
「自分がときめくかどうか」を判断基準にした人生はたしかに幸せで、満ち足りていた。

でも、子が生まれたらこうはいかないんだろうな、ぼんやり想像もしていた。わたしの趣味とぜんぜん違う服を着たがったり、リビングにおもちゃや人形を飾りたがったりするんだろうな。収納は圧迫されて、ときめくスペースも減ってしまうんだろうな。まあ、ある程度はしかたない。他人と暮らすって、そういうことだもの。

しかし、出産後、わたしがもっとも困惑したのはそういう類のことではなかった。こんまりさんは渡米され、はるか雲の上の人になってしまったけれど、いまもし会えるなら聞いてみたい。

自分自身が、「ときめかないほうがラク」と思ってしまう瞬間が出てきたのである。べつに子を優先しよう、自分は二の次でいいや、と菩薩のようなことを思ってるわけではない。ただ、自分のときめき<<<<<<<<<第三者(つまり子)に汚されたり壊されたりする心のダメージ、なのである。お気に入りのパジャマは頻回授乳でボロボロになった。だっこすると必ずわたしの襟元あたりに手を伸ばすので、服が全部伸びてしまう。葉をちぎったり土を口に入れたりするのは日常茶飯事だから、観葉植物を飾れない。

この一年間、毎日のようにGUの服を着た。まったくときめいてないわけではない。むしろ好きだよ、GU。でも、子がいなかったらこんなに毎日GUばっかり着ていないと思う。観葉植物も見えないところに飾っているから、もはや観葉ではない。

四人の子が皆、東大卒で有名な佐藤亮子氏は、著書でこんなふうに述べていた。「大好きな推理小説を読まなくなった。子どもにいつ中断されてもいいように」「高い食器を使わなくなった。お手伝いされたときに割られてもいいように」。出産前、わたしは「母親とはそうまでして自分を犠牲にしなければならないのか」とショックを受けたのだけど、いまの見方はちょっと違う。たしかに彼女は自らを投げ出して、子につくしている。だが、それはすべて子どものため、というよりも、自分のときめきをすっぱりあきらめてしまったほうが、ときめきを押し通すよりも「ラク」だったのではないかと思うのだ。

自分のときめきと子育て、どのあたりで折り合いをつけるか。とても難しいところではないだろうか。理想を追求するのもダメージを被るし、かといって、全部、自分のことをあきらめて後回しにしてしまうと、子育てが終わったときに「あんなに尽くしてあげたのに」と恨みがましいオバサンになってしまいそう。当分、模索する必要がありそうだ。

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