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ハヤオとイサオ あるいは次号のための備忘録

こんにちは。あるいはこんばんは。おしゃま図書です。
アリアケパンチは、単にマンガやアニメについて語るのではなく、
あくまでフランスでどう観られているか、それは日本とはどう異なるのか、
ということをかんがえようと思ってつくっている同人誌です。
それは、日本とフランスがお互い影響を与え合い、片想いし続けている姿について考えることでもあります。
(とかいいながら、今日はネトフリで「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」を一気見しました)

日本とフランスの“あいだ”を考える。

似ているところと違うところ。
それは、気質的なものなのか、文化的なものなのか。
あるいは宗教などによるものなのか。
定年退職でもしたら、どこか比較文化が学べるところで、
ちゃんと勉強したいなぁと思っていたりします。
(そのためにもフラ語をね…やらなきゃとわかっているけれどね…)

さて。アリアケパンチですが。
第1号ではフランス人がみたアニメ全般について
第2号ではベルばらと絡めたフランス革命期の食事について
第3号ではAKIRAが転換点となったフランスでのマンガ事情、
第4号ではセーラームーンにみる戦闘美少女の立ち位置、
第5号では高橋留美子作品からるーみっくジャポニスム を特集しました。

寄稿してくれた亡国さんや、うちの相方などと話しながら、
基本は日本のマンガやアニメについてだけれど、
「フランスで評価されているもの」という括りにする必要があるよね、と
次号について話をしたのです。フランスでレジェンドとして評価されているのは、永井豪や松本零士ですが、アニメやマンガとしてカルト的人気を誇るといえば、ドラゴンボールやワンピース、NARUTOだったりします。
でも、すごい膨大な巻数のあるマンガを読み込むのは現実的ではないし…。

いっそジブリはどうか

たまたまフランス人の研究者ステファヌ・ルルー氏の著書を見つけました。
そういえば高畑勲は東大仏文卒。自ら翻訳もするインテリです。
高畑訳のジャック・プレヴェールの詩集『ことばたち』も、いまや絶版であり、なんで買わなかったのか未だにとっても悔やんでいます。
それに2006年、東京日仏学院(現:アンスティチュ・フランセ)でのポール・グリモー監督『王と鳥』の上映も観に行きましたが、フランスのアニメーションに影響を受けた高畑や宮崎が、やがてスタジオジブリとして人気を誇るのも、縁ではないでしょうかね。フランスからも叙勲され、アリアケパンチのネタ的にはぴったりな気がします。
その場合、ジブリ以前の作品について、ルルー氏の本などを読み込んで、取り上げてみるのもよいかなぁ。というわけで探してみたら、「太陽の王子 ホルスの大冒険」も今、観れるのね(有料だけど)。便利な世の中になったものです。岡田斗司夫曰く、子どもにも大人にも受けず、全くヒットしなかったそうですが、さもありなん。(だって、おもしろくない)
ただ、若い頃の作品って、必ずその中に、その後の作品につながる芽があるのよね。ホルスを観ていると、ナウシカやハイジの芽を感じることができるけどね。フランスでは2004年に公開されたようで、「スタジオジブリの2人の監督が1980年代から90年代にかけて作った作品と同じレベルのクオリティではないにしても、この作品は、スタジオの経営陣を犠牲にして、クリエイター(脚本家、監督)が映画の演出レベルで意思決定権を持つようになった出発点となるもの」という認識のようですね。まぁ、まず、マニアの人しか観なそうな映画。

JOJOもアリかも

あとフランスで人気のあるマンガ家ということで、いろいろと挙げていったときに、「ジョジョは?」という話になりました。
そういえば、2016年に六本木の森アーツセンターギャラリーで開かれたルーヴル美術館監修の特別展示「ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~」(会期:2016年7月22日~9月25日)を観たことがあるのですが。

これはルーヴル美術館が2005年からバンド・デシネを第9の芸術として、
マンガを通してルーヴルの魅力を伝える「ルーヴルBDプロジェクト」から
依頼された日仏の作家による作品を展示したもので、日本からは、荒木飛呂彦、谷口ジロー、松本大洋、五十嵐大介、坂本眞一、寺田克也、ヤマザキマリが参加しています。荒木飛呂彦は「岸辺露伴ルーヴルへ行く」という作品を出しており、5月には映画が公開されますね。(実写版の高橋一生、好き!)


マンガ≠バンド・デシネを深掘れる?

第5号でるーみっくジャポニスム特集をしたときに、フランスのバンド・デシネ業界も男社会がすぎるんだな、ということ、そしてバンド・デシネとマンガのあいだには、「第9の芸術」かそうでないかの大きな壁があるんだな、ということを感じ、バンド・デシネとマンガのあいだの溝ってどのくらいなんだろう? 日本人のマンガ家の中で、バンド・デシネと肩を並べる(つまりは、第9の芸術に加わると考えられる)作家ってどのくらいいるんだろう? というのも気になるところです。
「manga」という言葉がフランスで通じるということは喜ばしいことではありますが、それはある意味、「bande dessinée」とは違うものと区別されているわけで、成り立ちも、作り方も異なりますよね。

フランス人のジャクリーン・ベルント編、「世界のコミックスとコミックスの世界 グローバルなマンガ研究の可能性を開くために」の中で、ティエリ・グルステン(野田謙介訳)の「グローバル化時代における、国際的マンガ研究への挑戦」で次のように述べています。

なぜフランスの大学がマンガ芸術にほとんど興味をもたなかったのか。その理由を説明することは容易ではない。私自身、異常だと思っているからである。しかしながら、おそらくはその説明の一部をアカデミックな研究の組織のされかたに求めることができるであろう。つまりどのような学問分野がどれほど発展してきたのか、ということだ。この点についても国によって状況が違うことは認識されていないかもしれない。たとえばアングロ=サクソン系の国で数十年前から大きなひろがりを見せている「カルチュラル・スタディーズ」という分野はフランスではまだ完全に成立しているとは言えない。いまだに周辺的な分野なのである。フランスでは1960年代に構造主義が勝利してからというもの、メディアに対する記号論的アプローチのほうに重点がおかれたままだ。日本においてこれら二つの大きな研究の流れがどのように考えられ、受け入れられているかは知らないが、すくなくともアングロ=サクソン系のアカデミックなマンガについての言説と、フランス系のもののあいだにはあきらかな違いがある。それぞれの知の伝統とアカデミックの最先端が異なるのだ。実のところ、英語で発表されるアカデミックな論文が世界中でヘゲモニーをにぎってからというもの、フランスは国際的に文化的例外となってしまった。


この論文集自体が2010年にvol.1が出たっきりなので、この後、一体マンガ研究がどうなっているのか、もっと知りたい気もします。
が、私がやりたいのはマンガの研究ではなく、マンガを通した日仏文化比較なので、どんな資料を探して掘り下げていったらいいのか、もう少し考えてみてもいいのかなぁ。
次回夏コミの申し込み締切は3月だから、もう少し考えてみようと思います。


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