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心がざわついたときは

今日、人を2人殺しました。

男性1人と女性1人。

ことの起こりは地元のワイナリーでした。年に1度、ここでワインフェスティバルが開かれます。地域の醸造家が自慢のボトルを並べ、お客さんはワイングラス片手にいろいろなワインを飲み比べるという粋なお祭りです。リピーターの両親に連れられて、今回わたしも初めて参加しました。

その男女に会ったのは、会場から引き上げようとしていたときです。お客さんの多くは収穫が終わったぶどう畑の間にめいめいレジャーシートを敷き、そこでハムやチーズやスイーツをつまみにワインを楽しんでいるのですが、1組のカップル(太った2人組だったので、ここでは仮に「肥田さん」としておきましょう)が別のカップルに難癖をつけ始めたのです。肥田さん(夫)は「通路をふさいでいるから通れないんだよ」と、まわりの人が振り向くくらい大きな声で言い放ちました。驚いたカップルは一瞬あっけにとられ、立ち上がって肥田さん夫婦を通したのですが、肥田さん(妻)はお礼を言うどころか「通路は開けておいてよ」と声高に言い捨て、夫とともに畑の奥へ立ち去りました。

以下は現場を目撃した瞬間に、わたしの頭の中でわきあがった思いです。難癖をつけられたカップルが座っていたのは、厳密には「通路」ではない。会場は広く、他にも場所はあるのだから、肥田さん夫婦は他人を退かせてまでその場所を通る必要はなかった。初対面の人に話しかけるとき、それも何かを要求しなければならない場面では、敬語や丁寧語を使うのが社会人として最低限のマナー。「通路をふさいでいるから通れないんだよ」は、ない。ありえない。非常識にもほどがある。

急にいちゃもんをつけられたカップルの心中は穏やかではないでしょう。秋晴れの気持ちのいい午後、ワインを楽しもうと参加したフェステバルでこんな言いがかりをつけられたら、もうその日は台無しです。ワインも何もあったもんじゃない。まわりにいた他のお客さんも同じです。その現場を見てしまった通りがかりのわたしも、例によって不快感で気持ちが悪くなりました。HSPですから、他人が嫌がらせをされるのを見聞きしただけで、まるで自分が攻撃されたかのようなダメージを受けます。

会場を後にし、駅に併設されたカフェでコーヒーを飲みながら電車を待っている間も、わたしの心はざわついたままでした。肥田さん夫婦の場面が頭の中で何度も再生されます。このままあの2人を放置しておいたら、おかしくなってしまう。自分の心を守らないといけない。でも、どうしたらいいのか。

そうだ、肥田さん夫婦を殺せばいいんだ。

手始めに、夫婦を500mlペットボトルの大きさまで縮めてしまいます。小さくなった夫婦を、ステンレススチール製の解剖台の上に仰向けに並べます(解剖台というのは、人間が1人載れる大きさの銀色の台です。医療ドラマなんかでは、遺体の解剖をする場面で出てきます)。この時点で夫婦の意識はありません。麻酔で鎮静させているから。そして、台所から持ってきた一番よく切れる包丁を、まずは夫のお腹に突き刺します。夫が終わったら、妻も同じように刺殺します。ここが肝心なところなのですが、この解剖台は特殊なつくりになっていて、スイッチを押すと台の表面が左右に割れて、割れ目から深い穴が現れます。「処理」された夫婦は自動的に穴の中に落ちていきます。深い深い穴です。どのくらい深いのか、誰も知りません。とにかく深いので、そこに落ちた人は二度とこちらの世界に戻ってくることはできません。再びスイッチを押して穴を閉じたら、台の表面に付着した血液をシャワーで洗い流し、水分を拭き取って作業完了です。お疲れさまでした。

なんだか、描写が思ったよりグロテスクになってしまいました。村上春樹の小説『海辺のカフカ』でジョニー・ウォーカーさんが野良猫をこんなふうに殺す場面があったような気がします。はっきり言って、気持ちのいいものではありません。想像上のこととはいえ、人間を2人殺したんですから。でも、わたしにとってはこれが最善の方法なのです。あの夫婦の息の根を止めて、その存在を消し去ってしまうには、これしか方法がないのです。あの2人が暗い穴の中に落ちていった瞬間に、わたしの心は平穏を取り戻すことができたのだから。

5ヶ月ぶりに書いた note がこんな陰惨な内容になるなんて、ちょっとあんまりな気もするけれど、今のわたしにとって自分の心を守ることは最優先事項です。頭の中で他人を殺すことで心の平穏を取り戻せるなら、どんどん殺せばいいんです。それで誰かに迷惑がかかるわけではないんだから。そう思います。

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