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約束

1:6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。
イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。
1:7 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
1:8 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
1:9 イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、
1:10 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
(使徒言行録 1章6-11節)

 1日雨降り。ずっと屋内にいてなんだか気が滅入ってしまった。やるべきことは山積しているのに、いまいちやる気が出ない。自分のことも他人のことも中途半端になっている気がする。優先順位をつけられないままに、様々なことが期限を迎えようとしている。さあどうする。しかしまだ危機感を持てずにいるような。

 十字架の死から復活した喜びも束の間、40日後にキリストは父のいる天に昇られた。弟子たちは、驚いたかもしれない。予告されてはいたが、まさか今なのか、と思っただろう。キリストが共にいて、進むべき道を示し、直に御言葉を聞き、目に見える形で教えを与えられていた中で、もしかすると弟子たちは、良い意味でも悪い意味でも、どこか安心してしまっていたかもしれない。誰しも、現状に甘んじてしまうときがある。しかし、今置かれている状況はいつまでも続くわけではない。常に神の計画のうちに、時は移り変わっている。いつ別れがくるのか知りたいと思っても、地上の人間にはわからない。

 では、キリストは弟子たちを見捨てたのかというと、そうではない。天の使いは、弟子たちにキリストの再臨を告げている。それは、再び地上に主がやってくるまで、弟子たちが聖霊の導きに従い、あらゆる場所に行ってキリストの教えを宣べ伝えることを主は求められているということだ。今しばらく目に見える形ではキリストと離れてしまうことになるのは、不安になってしまいそうに思うが、弟子たちには主の求める働きをできることがすでに約束されているのだと考えられる。

 私たちはどうか。どこかで再臨を待っていることなど忘れているときがあるかもしれない。また、自分たちにできることなどあるのかと思う時もある。しかし、主は私たちにもそれぞれミッションを与えられている。そしてそれを成し遂げることができることは約束されている。私たちの不安など関係なく。

 今できる方法で、自分にしかできないやり方で、キリストを証ししよう。聖霊の導きに従って進もう。

2021.5.13

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