サーフブンガクカマクラに憧れた

初めて買ったCDはアジカンのサーフブンガクカマクラだった。いつだったろう、多分高校生。TSUTAYAの中古CD売り場にひっそりとあったそのCDをいそいそとレジまで持って行ったことを覚えている。それまで、音楽というものはTSUTAYAで借りたCDをウォークマンに落としてきくものだった。形として、自分のものとして手に持ったのはそれが初めてだった。

アジカンを好きになったのは、父の影響だ。それまで井上陽水や佐野元春が流れていた父の車内BGMに、ある日ミスチルが登場し、ついにアジカンが登場した。そういえば、私がバンドを好きになったのは、父が聞くミスチルを好きになったのがきっかけだ。初めて行ったライブも、父と行ったミスチルのライブだ。私の音楽の端緒を作り上げたのは父だといっても過言ではない。

さらに遡ると、バンドに出会う前は楽器をやっていて、クラシック音楽の方が身近にあった。しかし、クラシックのことをあまり好きになれず、音楽そのものをあまり好きではなかった。楽器を始めたのも父の影響だ。ミスチルやアジカンが、私を音楽を好きでいる人生に手招いてくれた。


サーフブンガクカマクラは、爽やかなアルバムだ。江ノ電の駅名を冠した曲名が連なり、海やサーファーといった単語がよく使われる。海なんて年にⅠ回行くか行かないかの高校生であった私は、いつもの登下校の道を歩きながら、自分が海辺の町に育った高校生だったら、と考えた。憧れた。暑い日も、リズムに乗って足早に歩いたことを思い出す。

江ノ島エスカーという曲が一番好きだった。何度も繰り返して聞いた。今はどの曲もかなり好きだ。

心の臓がわずかに逸るビート踊りますか

踊れない私は、歩きながらビートを刻んでいた。

埼玉のとある街のヤンキー
彼は海も、実はキスも初めての

恋がしたかった私は、ヤンキーの照れた顔を想像していた。
今聞いても心が逸る。跳ねる。


apple musicですぐに音楽に触れられる今を気に入っている。先日のフジロック配信で初めて出会った曲を、次の瞬間には自分のスマホに入れた。とても気に入って永遠と繰り返して聞いている。
けれど、何度もTSUTAYAに通って、目が疲れるまでCDの背表紙を睨んで、これぞという5枚を選んだあの時も、音楽との出会いはそこら中に溢れ、素敵な時代だった。

そして、今も昔も大好きな音楽のCDを手にした時の高揚感は、全く変わらないのだ。音楽が好きだ。


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