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noteとの出会い

私がnoteを始めた理由は、分かりやすく説明する力、説得することが出来る力、文章を作る力を身につけたいと思ったから。

管理職1年目、毎日が自己嫌悪の連続である。自分の器の小ささが日々浮き彫りになることに疲弊しながら、明日は必ずやってくるし今日はもうやり直せない。

折り合いをつけなければならないことをわかっているのに、どこまでも求めてしまい満足できないのは、私の理想がエベレスト級だからであろう。

求めない。
与えて与えて与えて
与えることを楽しんで、
もし疲れたと思った時はその時に見渡した景色で決めよう。
という自分なりに人生のモットーにしている(したいと思っている)生き方がある。つまり先に述べた私の「理想」なるものはあくまで私がすべき行動の中でという意味であり、相手に求めることはではない。

その私の中のエベレストを登るため、
今の段階で当たっている壁である「自己嫌悪をしないため」の方法のひとつとして冒頭にあるように
分かりやすく説明する力、説得することが出来る力、文章を作る力
が重要であると考えた。
うまくいかない時は相手にきちんと教えたり伝えたり出来なかった自分が悪いと考えているので、自己嫌悪するのだ。そうならないための自己研鑽の方法を模索していく中で出会ったのがこのnote。

まずは書いてみようと思い、自分が発信できる他人に有益な情報は?と考え決めたテーマがウサギ多頭飼いについてでした。なかなか脱線しまくるのはどうにもこうにも、、、これもまたnoteの魅力ということにしておいて頂きたい。

SNSが苦手な私。
自分が意図しないところにも情報が行き届いて、コントロール出来なくなる状況が怖いのだ。

Twitter、Instagramはトレンドな話題やアカウントを見るためだけに存在しているため、たまに利用するくらい。日々のつながりを持ったSNSを頑なにしない私が揶揄されることがないわけではないが、一瞬のため気にならない。
恵まれたことに私の友人は、数年会わなくてもまるで昨日も会ったかのように、変わらず受け入れてくれる。国内なのか世界のどこかにいるのか、何をしているのか、よくわからないことがあったりした為慣れてくれたのだとも思うが。

とはいえ2013年あたりまではInstagramにはハマっていた。当時は写真加工のアプリとして認識していて、クールに加工した日常や特別な景色の投稿楽しんだのだ、そのセンスに。ハッシュタグやコメントと言った概念もなかった。

提供するサービスと自分のニーズが大幅にズレていったのだと思う。

以上のようにSNSを敬遠してきたにもかかわらず、noteを楽しんでる現状は、ここの独特の世界観のおかげだと思う。
noteクリエイターさん言葉が心に入り込んでくるのだ。同じ世界観にいることで、つながっていると感じていて、この世界の住民になりたいのだと思う。

そうして始めたnote。書いて消して書いて消してを繰り返しながら、単語と意味を調べ表現を試行錯誤している。noteクリエイターさんたちの記事を読み、言葉に出来なかった思想や感情が言語化されていることに喜びを感じながら、自分に合った言葉の使い方、伝え方を学び整理している。

伝え方ひとつで職場環境や人間関係は全然変わると思う。センスのある言い回しをできる人間までなれなくとも、相手にとって快適だと感じてもらえる人間になるため日々奮闘し続けたい。そうするとめぐりめぐって私も快適になっていくということである。何もかも誰かのためではなく、自分のためにやっているのだ。

当たり前だけど時に難しい。どんな時もその思考回路の元で生きていたい。

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