御嶽[おんたけ]神社 (埼玉県久喜市本町)
御嶽神社は唐突に
前回、久喜市『南』の御嶽神社をご紹介した際に、久喜市『本町』にもあるとサラッと触れました。
久喜市南の御嶽神社は、目的地の途中にマップで見つけたのでお伺いしましたが、
久喜市本町の御嶽神社はマップも見ずに辿り付いてしまいました。たまたま道を逸れてみたら「え?ここにあったの!?」という。
はてさて、呼ばれましたかな?「片方の御嶽神社で満足するんじゃない!」って(笑)
教えて!Wikipedia先生!!
こちらが明治20年、久喜市南の方が明治27年に鎮座されました。
外観
Wiki先生には標柱とありますが、神社関連の記事では社号標と記載することが多いですね(標柱は門のように2本1組にしているものを指すことが多いらしい)。
社号標には『御嶽教 壽幹教会 御嶽神社』と刻まれています。御嶽教 寿(壽)幹教会については後ほど資料を載せます。
手水舎はなく、鳥居を潜ったら割とすぐ社殿。必要なものだけを揃えた潔い神社(※個人の感想です)。
社殿と狛犬
狛犬の足元に何かあるのは、今まで気にしたことがなかったです。調べてみると向かって左の吽形は「子取り」で子孫繁栄を、右の阿形は「玉取り」で家運隆盛の意味があるのだそう。狛犬は神域の門番として見ていたので、更に役割を足されているとは……お疲れ様です(笑)
社殿の扉は格子状ですが、ほぼ全ての格子にガラスか何かが嵌め込まれております。お賽銭箱はこの社殿の中にあるので、最下段の中央2つ分だけ嵌め込みがなく、お賽銭を入れられるようになっています。
そういえば、久喜市南の方は社殿もお賽銭箱も狛犬もなかったのでなんだか不思議。色んな御嶽神社の形態があるんですね。
御嶽教寿幹教会社殿再建記念碑
この石碑に、神社の縁起が刻まれています。
奉斎主神……言い方カッコイイですね!(奉斎:神仏などを慎んで祀ること『コトバンク 精選版 日本国語大辞典』より)
ウェブで探すと大本の御嶽教が
国常立命、大己貴命、少彦名命の三柱の大神を『奉斎主神』として挙げていました。
御嶽教寿幹教会については、石碑に丁寧に記載されていますので載せてみます↓
御嶽教のウェブによると、御嶽教が教派神道(神道十三派)の神道御嶽派として特立したのが明治15年9月28日、『御嶽教』と改称したのが同年11月6日とのこと。ただそこでは永濱周吉氏の名前を発見できず。ネット上でも寿幹教会・寿幹講社についての記事はなかったです。
埼玉苗字辞典では永「浜」でヒットあり。ただこの文書がどこに記載があったのかが不明。
戸長は明治前半の行政の役人で、従来の庄屋・名主などから選ばれた小区の長。
久喜市の教育部・文化推進課の『永濱家文書のページでは
と記載がありました。元々この地域の名家だったんですね。
実は前回取り上げた「榎本家」も、同じように戸長などを受け持っていたと記載がありました。
安政元年が1854年で、明治19年(寿幹教会寿幹講社の創立、会長講社長就任)が1886年ですので、この記事通りであれば32才で会長講社長になった計算です。ヤバい若い。すごいなぁ……。
霊神碑の数々
石碑に刻む字って、紙に書く字と変わっちゃうので本当何て書いてあるかわからない💦
『権』(だと思っている)字は、久喜南の『一守護神大権現』の『権』と同じに見えるのと、
「権少教正」という役職が、明治に宗教官吏として設置された「教導職」の中にあるから(と調べて初めて知りました)。
『真』の字は、異体字で『眞』の『匕』部分を『十』にした字が一番近いかなぁと。その上に書いてある字はお手上げ。『久』と読めそうだけど、次の字と隙間がある理由がわからないし、そもそも本当に『久』か?
森吉霊神の碑で「教導職」に気付きましたが、石碑の全員に役職が刻まれていました。
永濱周吉氏(道履霊神) : 教正 (ただし教正は大中少などがある。永濱周吉氏は不明)
永濱賢象氏(賢心霊神):少教正
矢島森吉氏(森吉霊神):訓導
濱田吉兵衛氏(吉瑞霊神):訓導
武井祐助氏(祐心霊神):権大講義
国政の教導職自体は明治17年に廃止されていますが、教派神道などはそのまま役職名を使っていたようです。
御神木 樫の木
何事も多角的視点が大事(真理)
御神木を撮影して神社を出て、しばらく歩いてふと気付いたんです。
境内、もっと奥まであるんじゃね?
戻ってきて、社殿に向かって右側が充分通れることを確認したので、奥に進んでみました。
正面から見えていたのは拝殿だったんですね。
奥に立派な本殿がありました。
拝殿だけ見て、本殿見そびれるところだった……
何しに行ったん?ってなるところでした。よかったよかった。
雑談 世にも奇妙な
ここで、本筋から逸れますが、今気付いたことをお知らせします。
どうぞ、本殿を納めた写真右上にご注目下さい。
世の中には まだまだ知らないこと たっくさんあるんだねぇ(すっとぼけ 笑)
これが何かわかる方 ぜひ教えてください!
おわりに
本当今回思わぬ(道との)出会いから始まった神社訪問でしたが、じっくり堪能できて良かったです。ちゃんと本殿も見れましたし!笑
前回もそうでしたが、今回の御嶽神社は特に寿幹教会という組織を通じて、明治時代という歴史を学ばせてもらった印象が強かったです。うまく言えないんですが、書物上の歴史ではなく、人と共に生きていた歴史というか。
2箇所の御嶽神社を訪れる機会に恵まれて、ふと自分の地元の神社を見直すのも面白いかもしれないなぁと思いました。
それでは、今回もお付き合いいただきありがとうございました!また次の記事でお会いしましょう。
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