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無常のコップ

「このコップ、捨てようと思うんだけど。」

綺麗なピンクと青の混ざった折り紙の切り絵の様な色の賑やかなガラスのコップを棚から背伸びして取り出しながら彼が言った。先日に同じ様な緑と黄色の色違いのコップの飲み口が欠けていてそれを捨てたばかりだった。

彼の家のキッチンは空気がこもる場所にあって、尚且つ日当たり良く暖かい。光と温度でキッチンの空気は柔らかく、カラフルなそのコップに水を注ぐとカラフルな色味が踊る様に見えて、私はそのコップを頻繁に使っていた。でも私の答えは決まっていた。

「うん、捨てよう。」

私は1秒の迷いも無く彼に同意した。対の様な緑と黄色のコップが欠けた時から、他の食器やガラス類とは別にされているかのごとく、端に避けられて仕舞われていたソレは、かつてはそこに居たであろう人との日常だった日のものだったのだろうとすぐにわかったからだ。


彼の家に来たばかりの頃、ひどく物が少ない冷蔵庫には、主張するかの様に2ヶ月前に賞味期限の切れた豆腐のパックが真ん中に鎮座していて、横のポケットには普段飲まないであろうと思われるあと数日に迫った期限のお茶が佇んでいた。「時が止まった冷蔵庫だな」軽く匂いを嗅いで、まだ飲めそうな事を確認して、私はそのままお茶をそのまま一気に飲み干した。

まあまあ広い彼の家に出会って2週間で私は転がり込んで、このまま2か月が経つ。壁に飾られた花はドライフラワーになって、コップは割れて、お茶は飲みほされて、痕跡は私に流れる。私は彼女の中で暮らしている。生活は無常で、時は彼女の頬を、はたまた彼の頬を、ぶん殴って過ぎるのだ。


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