安心と信頼

「人を信頼する」とはどういうことか

山岸氏は、信頼の定義を、次のようにしている。

「信頼」は、相手が裏切るかどうかわからない状況の中で、相手の人間性のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えることだ。

そして面白いことに、山岸氏は「信頼」と対になる概念として「安心」を掲げている。

安心の定義は次のようなものだ。

「安心」は、相手が裏切るかどうかわからない状況の中で、相手の損得勘定のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えることだ。

信頼は不確実性を大きく残したまま、人に期待を持たなければならない。

だが、安心は、システムやルール、約束事などによって、「相手が裏切る」という不確実性を大きく減らしている。

例えば、「裏切ったら処刑される」という鉄の掟があるマフィアにおいて、ボスが子分に持つのは「信頼」ではなく「安心」である。

三蔵法師が孫悟空に対して「頭を締め付ける輪があるから、裏切らないだろうと考えること」も、「信頼」ではなく「安心」である。

山岸氏の洞察の素晴らしい点は、この「信頼」をベースにした人間関係と、「安心」をベースにした人間関係を区別しているところにある。

つまり、「安心」は直接人を信じなくとも仕組みによって機能し、逆に「信頼」とは文字通り「人間を信じている」からこそ、成り立つということだ。

「安心」に依存していると、他人を「信頼」する能力が育たなくなる

そして、山岸氏は重要な示唆をする。

それは

「安心」に依存していると、「信頼」する能力が育たなくなる

という事実だ。

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