【映画の中の詩】『ギルダ』(1946)
現代のヴイナス ━━ リタ・ヘイワース
リタ・ヘイワースの踊る「Put the Blame on Mame」。このシーンによって映画史に記憶されるのは、『ギルダ』(1946)。
歌詞後半はカナダの詩人ロバート・W・サーヴィスの叙事詩『ダン・マグリュー銃撃』に基づいている。
サーヴィスは英語圏では知られた詩人のようだが、日本語による紹介は検索しても断片的なものばかりで、まとまったものは見つけられず。
『映画の心理学』(ウオルフェンスタイン,ライツ著)ではこの映画のヘイワースを、いわゆる「グッド・バッド・ガール(good-bad girl)」に分類している。
グッド・バッド・ガールはそれまでの映画における男の生き血を吸うような単純な妖婦型の女である「バンプ」に変わるものとしてハリウッドが発明したもので、彼女は妖婦めいた見かけを持つ純情可憐な女で、すべての男を惑わすような媚態は見せかけで、実はヒーローを一途に思っていて、最終的にはそれを理解したヒーローと結ばれる、という。
男からひたすら理想化されるような神聖な乙女と妖しい魅力で男を破滅へと引きずり込もうとする危険な女、という分裂して描かれていた女性の型をひとつに統合したあたらしい女性像を発明したのである。
「Put the Blame on Mame」が映画史に記憶されるのは、そのあたらしい女性像を象徴的に示したことによるのではないだろうか。
セクシーさは商品ではなく、武器なのである。
参考リンク
『映画の心理学 』ウオルフェンスタイン, ライツ 著(加藤秀俊, 加藤隆江 訳)
「現代のヴイナス」騷動 『スタア』1948年7月号(スタア社)
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