Photo by ジョルジュ・スーラ / メトロポリタン美術館 無門関 ZEN & POEM〈15〉洞山三頓 8 ぺしゃんこ。 2023年9月23日 13:37 十五 洞山三頓雲門、因洞山參次、門問曰、近離甚處。山云、査渡。門曰、夏在甚處。山云、湖南報慈。門曰、幾時離彼。山云、八月二十五。門曰、放汝三頓棒。山至明日却上問訊。昨日蒙和尚放三頓棒。不知過在甚麼處。門曰、飯袋子、江西湖南便恁麼去。山於此大悟。無門曰、雲門、當時便與本分草料、使洞山別有生機一路、家門不致寂寥。一夜在是非海裏著到、直待天明再來、又與他注破。洞山直下悟去、未是性燥。且問諸人、洞山三頓棒、合喫不合喫。若道合喫、草木叢林皆合喫棒。若道不合喫、雲門又成誑語。向者裏明得、方與洞山出一口氣。 頌曰 獅子教兒迷子訣 擬前跳躑早翻身 無端再敍當頭著 前箭猶輕後箭深 十五 洞山の三頓(さんとん)雲門、因みに洞山の参ずる次(つい)で、門、問うて曰く、「近離甚れの処ぞ」。 山云く、「査渡(さと)」。門曰く、「夏(げ)、甚れの処にか在る」。山云く、「湖南の報慈(ほうず)」。門曰く、「幾時か彼(かしこ)を離る」。山云く、「八月二十五」。門曰く、「汝に三頓の棒を放(ゆる)す」。山、明日に至って 却(かえ)って上って問訊(もんじん)す。「昨日、和尚三頓の棒を放すことを蒙る。知らず、過(とが)甚麼(いずれ)の処にか在る」。門曰く、「飯袋子(はん たいす)、江西湖南(こうぜいこなん)便ち恁麼(いんも)にし去るか」。山、此に於いて大悟す。無門曰く、「雲門、当時(そのかみ)、便ち本分の草料を与えて、洞山をして別に生機(さんき)の一路あって、家門をして寂寥を致さざらしむ。一夜是非海裏(かいり)に在って著倒(じゃくとう)し、直に天明を待って再来するや、又た他(かれ)の与(ため)に注破す。洞山直下(じきげ)に悟り去るも、未だ是れ性燥(しょうそう)ならず。且く諸人に問う、洞山三頓の棒、喫すべきか喫すべからずか。若し喫すべしと道わば、草木叢林皆な棒を喫すべし。若し喫すべからずと道わば、雲門又た誑語(おうご)を成す。者裏に向かって明め得ば、方(まさ)に洞山の与に一口(いっくの)気を出さん」。 頌に曰く 獅子、児を教う迷子(めいし)の訣(けつ)、前(すす)まんと擬して跳躑(ちょうちゃく)して早く翻身す。 端(はし)無く再び敍(の)ぶ当頭著(とうとうじゃく)、前箭(ぜんせん)は猶お軽く、後箭は深し。「洞山は求道のココロザシを抱いて雲門和尚のもとにやってきた。その初対面の会話。雲門「アンタはこのごろ何処にいたのかね?」洞山「査渡にいました」雲門「夏のころは何処にいたのかね?」洞山「湖南の報慈寺にいました」雲門「・・・。いつ、そこを離れたのかね?」洞山「八月二十五日です」雲門「こいつめ!六十棒を食らわせてやろうか」翌朝、洞山は改めて和尚を訪れた。洞山「昨日、あなたはわたしを打ちたたいてやりたいと言われました。わたしにはわかりません。一体、何が間違っていたのでしょうか」雲門「オロカ者!これまでにお前はどこをウロツいていたというんじゃ!」洞山はこのときすべてを悟った。”何処に”といったって、場所を聞いたわけじゃないと思う。『いつ、お前はお前自身から離れてしまったのか』という問いかけだったのに、洞山はウワの空で的外れの答えをしている。それで雲門和尚は怒ったんではないやろうか?」「『茶碗をちゃワんと洗いなさい』(七則【趙州洗鉢】)か」「『照顧脚下』、と書いて壁に貼っておこうかなあ」 『誰かをさがすために』 室生犀星きょうもあなたは何をさがしにとぼとぼ歩いているのです、まだ逢ったこともない人なんですがその人にもしかしたらきょう逢えるかと尋ねて歩いているのです、逢ったこともない人をどうしてあなたは尋ね出せるのです、顔だって見たことのない他人でしょう、それがどうして見つかるとお思いなんです、いや まだ逢ったことがないからその人を是非尋ねだしたいのです、逢ったことのある人にはわたくしは逢いたくないのです、あなたは変った方ですね、はじめて逢うために人を捜しているのがそんなに変に見えるのでしょうか、人間はみなそんな捜し方をしているのではないか、そして人間はきっと誰かを一人ずつ、捜しあてているのではないか。 1998/12/11 ダウンロード copy #詩 #禅 #室生犀星 #無門関 8 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート