オスカー・ワイルドの小説の映画化。アルバート・リューイン監督。米アカデミー賞で撮影賞を受賞しています。
引用されている詩はワイルドの長詩『スフィンクス』とウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』。
『ルバイヤート』は劇中で朗読される他に映画冒頭とラストシーンと三度も同じ詩句が引用されています。
『ルバイヤート』は多くの訳がありネット上でも読むことができるのですが、内容が同一というわけではありません。
大きくは原典であるペルシア語からの翻訳であるか、『ルバイヤート』が広く知られるきっかけとなったエドワード・フィッツジェラルドの英語訳からの重訳であるか、という違いがあります。
広く読まれているのはこのフィッツジェラルド訳であり、『ドリアン・グレイの肖像』でも、以前レビューした『 あゝ荒野』(1935)でも引用されているのはそちらになります。
ここでは竹友藻風の訳を引用しました。藻風訳は西脇順三郎が「後世に伝えたい」(「竹友藻風君を惜しむ」)と書いています。
でも引用しといてなんですが、正直私には文語体であることも相まって、いまひとつよくわかりません。
探し求める天国も地獄も実はお前の中にあるのだ、ということなのか?業火に身を焼かれるような現世が実は浄土でもある、とか?
フィッツジェラルド版からの重訳で同じ詩句を探すと以下のようなものがありました。