マガジンのカバー画像

【映画の中の詩】光は闇の中で輝く

56
映画と詩の交歓にまつわる文章を綴ります。 〈注:引用するのは主に1930〜50年代の映画です。 字幕と翻訳者明記のない引用詩は私の勝手訳(語句の入れ替え、省略有り)であることをご…
運営しているクリエイター

#映画感想文

【映画の中の詩】『ハンナとその姉妹』(1986)

ウディ・アレン監督。 エリオットは妻ハンナの妹リーに恋をしてしまう。彼女への思いを直接には言えず、二人で立ち寄った書店でE.E.カミングズの詩集をプレゼントする。「112ページの詩を読むことを忘れないで!」と。  『こんなところに来たことなかった』E.E.カミングズ あなたのふとした視線が いともたやすく ぼくをひらいてしまう ぼくはゆびのように 自分を閉じていたのに いつも あなたはひらいてゆく ひとつひとつ 巧みに 神秘的に 春が彼女の最初の薔薇の花弁をひらくよう

【映画の中の詩】『誘拐魔』(1947)

フィルム・ノワールが咲かせた「悪の華」。 犯人はボードレール?ダグラス・サーク監督。 警察に送られてくる奇妙な詩。その内容どおりに若い女性の連続失踪事件が起こる。 その詩の特徴から警察は犯人はボードレールに心酔していると推理する。 ロバート・シオドマク監督『罠』(1939)のリメイク作品。 元になった『罠』(PIÈGES)は『悪魔が夜来る』(マルセル・カルネ監督)のマリー・デア主演のフランス映画。 ハリウッド映画でありながらボードレールが事件を解明する鍵になっているのはそ

【映画の中の詩】『「ピンパーネル」スミス』(1941)

おやすみなさい。「別れは甘い悲しみです」 それは何ですか? ドイツ文学で最も有名なフレーズの一つです。 レスリー・ハワード監督、主演の反ナチス映画。レスリー・ハワードは両親ともにユダヤ系である。 ハワードが演じるのは表向きは考古学者ホレイショ・スミス教授としてドイツに入国してドイツ文明におけるアーリア人起源の証拠となるものの発掘調査をナチスの支援を受けて行っているが、裏では強制収容所の囚人を脱出させる手引をしている、という役。 ハワードが過去に主演したイギリス映画『紅はこ

【映画の中の詩】『真夏の夜の夢』(1935)

狂人と恋人と詩人は空想の塊だ 詩人の目は 狂おしく乱れて 天かとおもえば地、地かとおもえば天へと駆けめぐる やがて その空想力で謎そのもののかたちをとらえる  ーーシェイクスピア『真夏の夜の夢』(第5幕第1場) シェイクスピア原作。“A Midsummer Night's Dream“ 1935年の制作。公開時には芳しい興行成績を残せなかったものの、今日ではシェイクスピア映画としては上出来のものという評価を得ているようです。 「主役」ではないのですが、妖精の女王テ

【映画の中の詩】『悪魔が夜来る』(1942)

「戦争に立ち向かえる唯一の映画、それは恋愛映画だ」(ジャック・プレヴェール)マルセル・カルネ監督『悪魔が夜来る』(1942)。ジャック・プレヴェール脚本。原題『Les Visiteurs du Soir』 ナチス・ドイツ占領下で制作された。 強権によって愛する娘を我が物にしようとする悪魔に対して純粋な愛を貫こうとする抵抗を描いたこの映画の意図するところは明らかですが、カルネとプレヴェールは時代を中世に設定したおとぎ話の体裁を取ることで、ナチス・ドイツから、その真意を悟られる

【映画の中の詩】『ブルックリン横丁』(1945)

古き良きアメリカ映画感一杯の隠れた名作 エリア・カザン監督。原作はアメリカの劇作家ベティ・スミスの自伝的小説。 大昔にTVで観て内容は忘れてしまっていたものの「良い映画だったな」という記憶だけはあり、見返してみました。 やはり古き良きアメリカ映画感一杯で楽しめました。 原題の『ブルックリンに育つ木』というのは貧しいけれども両親や周囲の人の愛と励ましによって成長してゆく、主人公フランシーの象徴です。 エリア・カザン監督作品としては最初期のもので地味ですが、ネットで検索する

【映画の中の詩】舞踏会の手帖(1937)

〈私はデュヴィヴィエの「舞踏会の手帖」でもひらくような感傷的な気分で、対談者のリストを取り出した。 私がたずねたかったのは実は彼等の正体ではなくて、この「五年間と言う名の時」の正体だったのかも知れない。〉               (寺山修司「五年目のノート」) 監督ジュリアン・デュヴィヴィエ。主人公の若き未亡人クリスティーヌを演じるのはマリー・ベル。 題名になっている「carnet de bal」(カルネ・ド・バル=フランス語でカルネは「手帖」、バルは「舞踏会」)は英

Backward and in High Heelsージンジャー・ロジャース

「もちろん彼(アステア)は素晴らしかったが、ジンジャーは彼がやったことすべてを後ろ向きに、そしてハイヒールを履いてやったことを忘れないでください」   (ボブ・セイブス『フランク・アンド・アーネスト』) 『ジンジャー・ロジャース自伝』(渡瀬ひとみ訳、キネマ旬報社)を読んで私が感じのは、ジンジャー・ロジャースという人は賢い女性だなあ、ということでした。 ジンジャーは自分を必要以上に大きく見せようとはせず、そうかといって逆に不必要に卑下することもなく、誇るべきところは大いに

【映画の中の詩】『ボディ・アンド・ソウル』(1947)

虎よ、虎よ!ロバート・ロッセン監督。ジョン・ガーフィールド、リリー・パルマー主演。 『ロッキー』かな?のラストやローラースケートを履いた手持ちカメラで撮影した臨場感あふれる試合シーンなど、後のボクシング映画に大きな影響を与えた作品。 ボクシング映画として、フィルム・ノワールとして傑作の一本とされています。 また主演のガーフィールド、脚本のエイブラハム・ポロンスキーを始めとして、関係者がハリウッドに吹き荒れた〈レッドパージ〉に多数巻き込まれたことでも有名だそうです。 参考

【映画の中の詩】『まごころ』(1946)

荒野へ! 荒野へ! ーー ブロンテ姉妹 ハリウッド版の「ブロンテ姉妹」の物語です。 アイダ・ルピノ:エミリー オリヴィア・デ・ハヴィランド:シャーロット ナンシー・コールマン:アン アーサー・ケネディ:ブランウェル ブロンテ家の長男ブランウェルは姉妹の物語が語られるときにはいつもダメ男の問題児として描かれ、姉妹の引き立て役なのですが、実は才能豊かで姉妹の創作にも影響を与えたと思われ、評価する動きもあるそうです。 『雑誌の写真なんかで「ひとりとばして」なんて名前を書かれ

映画監督 田中絹代

田中絹代といえば誰もが認める大女優ですが、日本映画界において二人目の女性映画監督でもあり、近年ではその監督作品が再評価され、注目を集めています。 とりわけ夭折の歌人中城ふみ子を描いた『乳房よ永遠なれ』は評価高まるばかりですが、他の作品にも長い女優としての経験が生かされたであろう人間描写に光るものを感じます。 監督処女作は『恋文』(1953)。 出演は森雅之、久我美子、香川京子、道三重三。 田中絹代主演映画を多く手掛けた木下恵介監督が脚本を提供しています。 彼女の監督デビュー

【映画の中の詩】『紅唇罪あり(”Baby Face”)』(1933)

ベビーフェイスの聖なる悪女バーバラ・スタンウィック主演の問題作です。 少女のころから父親と彼の経営する禁酒法違反の酒場の客の男たちに性的搾取を受けてきた娘リリーが、なぜかニーチェかぶれの靴職人の男から権力への意志こそ人間の行動原理である、とふきこまれ、その実践をすべく親友の チコとともにニューヨークへと向かいます。 大手銀行にもぐりこむと上司からその上司そのまた上司へと次々に踏みつけにして、最終的には頭取を自殺未遂にまで追い込んでゆくという、とんでもない悪女なのですが、スタ

【映画の中の詩】『雨』(1932)

「人間は自分自身にたいして最も残酷なことをする生きものである。おまえたちは、「罪びと」、「十字架をになう者」、「贖罪者」などと自称する者たちすべての訴えや告発のなかに含まれている快感を、聞きもらさぬがいい」         「ツァラトゥストラはかく語りき」(手塚富雄訳) 小津安二郎が『母を恋はずや』(1934)で引用していたジョーン・クロフォード主演の『雨』。 牧師は売春婦の女を導くというよりは追い詰めていくといったふうでほとんど洗脳的に懺悔させることに成功するが、その

【映画の中の詩】『欲望という名の電車』(1951)

「欲望」という名の電車に乗って 「墓場」という電車に乗り換え 六つ目の角まで行くように言われたんです 「極楽」に着いたら降りるようにと―― エリア・カザン監督。原作はテネシー・ウィリアムズの同名戯曲。 主演ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド。 南部の裕福な名家に生まれ職業は高校教師という未亡人ブランチ(ヴィヴィアン・リー)と粗野で暴力的な貧しい職工スタンリー(マーロン・ブランド)という分かりやすい対比。 もっともブランチの家は没落し、彼女自身も不行状(男と酒)が理