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【映画の中の詩】

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映画と詩の交歓にまつわる文章を綴ります。
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記事一覧

【映画の中の詩】舞踏会の手帖(1937)

〈私はデュヴィヴィエの「舞踏会の手帖」でもひらくような感傷的な気分で、対談者のリストを取り出した。 私がたずねたかったのは実は彼等の正体ではなくて、この「五年間と言う名の時」の正体だったのかも知れない。〉               (寺山修司「五年目のノート」) 監督ジュリアン・デュヴィヴィエ。主人公の若き未亡人クリスティーヌを演じるのはマリー・ベル。 題名になっている「carnet de bal」(カルネ・ド・バル=フランス語でカルネは「手帖」、バルは「舞踏会」)は英

【映画の中の詩】The Romantic Age/Naughty Arlette(1949)

エドモンドT.グレビル監督の1949年のイギリス映画。アメリカ公開時に『Naughty Arlette(いたずらなアルレット)』と改題されています。 謹厳実直の妻子ある女子校教師がフランス人生徒の恋の火遊びのターゲットにされ、彼女に溺れてしまう・・・。 メガネを取ったほうが素敵よ、と言われ、「壊れてしまった」などと言い訳しつつ、掛けずに彼女の元を訪れているというシーン。 シェリーの「Love’s Philosophy」という詩が読まれるのですが、最後のところを本来〈swe

【映画の中の詩】『ギルダ』(1946)

現代のヴイナス ━━ リタ・ヘイワース リタ・ヘイワースの踊る「Put the Blame on Mame」。このシーンによって映画史に記憶されるのは、『ギルダ』(1946)。 歌詞後半はカナダの詩人ロバート・W・サーヴィスの叙事詩『ダン・マグリュー銃撃』に基づいている。 サーヴィスは英語圏では知られた詩人のようだが、日本語による紹介は検索しても断片的なものばかりで、まとまったものは見つけられず。 『映画の心理学』(ウオルフェンスタイン,ライツ著)ではこの映画のヘイワース

【映画の中の詩】『化石の森』(1936)

レスリー・ハワード、ベティ・デイヴィス、ハンフリー・ボガート。 ベティ・デイヴィスは母から贈られたヴィヨンの詩集をお守りのようにして日々の希望のない生活に耐えている、という設定。 ハワード主演の原作戯曲にはボガートも映画と同じ役で出演していましたが、映画化に際して映画会社はボガートではなく、よりネームバリューのあるエドワード・G・ロビンソンをキャスティングしようとします。 ハワードは舞台と同じくボガートの起用を求め、受け入れられない場合は自分もこの映画から降りる、と強く主

【映画の中の詩】『別れの曲』(1934)

美しくあれ、哀しくあれーーショパンの愛と別れフレデリック・ショパンと恋人コンスタンツィアとの愛と別れの物語。 この映画にはキャストを入れ替えたドイツ語版『 Abschiedswalzer』とフランス語版『 La chanson de l'adieu』があり、こちらはドイツ語版。 日本公開(1935)されたのは仏語版だったそうで、『さびしんぼう』を撮った大林宣彦監督が若き日に魅了された、というのも著書(『むうびい・こんさあと』)によると、そちらだったようです。 ただフランス

【映画の中の詩】『二人で愛を』 (1941)

おいでぼくのところに 恋人になろう     "Come live with me and be my love" クラレンス・ブラウン監督。ジェームズ・スチュワート、ヘディ・ラマー主演。 原題の「Come Live With Me」は16世紀イギリスの劇作家で詩人のクリストファー・マーロウの詩「牧人の恋」(“The Passionate Shepherd to His Love” by Christopher Marlowe)の出だしのフレーズです。 この詩はかなり有名で、

【映画の中の詩】『 あゝ荒野』(1935)

ユージン・オニールの舞台劇の映画化作品です。 寺山修司の同名小説とその映画化作品(2017)とは直接関係はありません。 「寺山修司が題名だけを自分の小説にパクった」ということで、よく寺山関係の書籍などに紹介されています。 ただ私は題名だけではなく、引用されている『ルバイヤート』の〈荒野もすでに楽土かな〉が、 〈一粒の向日葵(ひまわり)の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき〉 という寺山の歌へこだましているように感じました。 オマル・ハイヤームの名は同時期に公開された

Backward and in High Heelsージンジャー・ロジャース

「もちろん彼(アステア)は素晴らしかったが、ジンジャーは彼がやったことすべてを後ろ向きに、そしてハイヒールを履いてやったことを忘れないでください」   (ボブ・セイブス『フランク・アンド・アーネスト』) 『ジンジャー・ロジャース自伝』(渡瀬ひとみ訳、キネマ旬報社)を読んで私が感じのは、ジンジャー・ロジャースという人は賢い女性だなあ、ということでした。 ジンジャーは自分を必要以上に大きく見せようとはせず、そうかといって逆に不必要に卑下することもなく、誇るべきところは大いに

【映画の中の詩】『恋愛手帖』(1940)

ダンサーから女優へーージンジャー・ロジャース 当時話題になったというクリストファー・モーリーの小説の映画化。サム・ウッド監督。 原作にはかなり露骨なラブシーンもあり主演の打診を受けたジンジャー・ロジャースは当初出演をためらいますが、ダルトン・トランボ(『ローマの休日』『ジョニーは戦場に行った』)の脚本を読んで出演を決めます。 そしてジンジャーはこの映画でアカデミー主演女優賞を受賞することとなります。 キャサリン・ヘップバーン(『フィラデルフィア物語』)、ベティ・デイヴィ

【映画の中の詩】『ボディ・アンド・ソウル』(1947)

虎よ、虎よ!ロバート・ロッセン監督。ジョン・ガーフィールド、リリー・パルマー主演。 『ロッキー』かな?のラストやローラースケートを履いた手持ちカメラで撮影した臨場感あふれる試合シーンなど、後のボクシング映画に大きな影響を与えた作品。 ボクシング映画として、フィルム・ノワールとして傑作の一本とされています。 また主演のガーフィールド、脚本のエイブラハム・ポロンスキーを始めとして、関係者がハリウッドに吹き荒れた〈レッドパージ〉に多数巻き込まれたことでも有名だそうです。 参考

【映画の中の詩】『まごころ』(1946)

荒野へ! 荒野へ! ーー ブロンテ姉妹 ハリウッド版の「ブロンテ姉妹」の物語です。 アイダ・ルピノ:エミリー オリヴィア・デ・ハヴィランド:シャーロット ナンシー・コールマン:アン アーサー・ケネディ:ブランウェル ブロンテ家の長男ブランウェルは姉妹の物語が語られるときにはいつもダメ男の問題児として描かれ、姉妹の引き立て役なのですが、実は才能豊かで姉妹の創作にも影響を与えたと思われ、評価する動きもあるそうです。 『雑誌の写真なんかで「ひとりとばして」なんて名前を書かれ

映画監督 田中絹代

田中絹代といえば誰もが認める大女優ですが、日本映画界において二人目の女性映画監督でもあり、近年ではその監督作品が再評価され、注目を集めています。 とりわけ夭折の歌人中城ふみ子を描いた『乳房よ永遠なれ』は評価高まるばかりですが、他の作品にも長い女優としての経験が生かされたであろう人間描写に光るものを感じます。 監督処女作は『恋文』(1953)。 出演は森雅之、久我美子、香川京子、道三重三。 田中絹代主演映画を多く手掛けた木下恵介監督が脚本を提供しています。 彼女の監督デビュー

【映画の中の詩】銀座化粧(1951)

詩が必要なとき 成瀬巳喜男監督   田中絹代 堀雄二 香川京子 このシーンだけ見るとロマンチックな関係に思えますがそういうわけではありません。田中絹代の方は好意を持っているのですが、堀雄二は別になんとも思っておらず、このあと香川京子に一目惚れしてプロポーズしてしまいます。 詩は佐藤春夫が中国女流詩人の作品を訳出した『車塵集』より。 この映画に出てくるのは東へ西へとふらふらと身の置き場の定まらないダメ男ばかりなのでした。 人生において詩が必要なのはいかなる時なのか? 私

【映画の中の詩】『紅唇罪あり(”Baby Face”)』(1933)

ベビーフェイスの聖なる悪女バーバラ・スタンウィック主演の問題作です。 少女のころから父親と彼の経営する禁酒法違反の酒場の客の男たちに性的搾取を受けてきた娘リリーが、なぜかニーチェかぶれの靴職人の男から権力への意志こそ人間の行動原理である、とふきこまれ、その実践をすべく親友の チコとともにニューヨークへと向かいます。 大手銀行にもぐりこむと上司からその上司そのまた上司へと次々に踏みつけにして、最終的には頭取を自殺未遂にまで追い込んでゆくという、とんでもない悪女なのですが、スタ