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無門関 ZEN & POEM

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『無門関』という古い中国の坊さんの書いた本を読みながら、なぜかしきりと詩のことを考えたのだった。
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無門関 ZEN & POEM〈28〉久嚮龍潭

「青年時代の徳山は金剛般若経に造詣深く、周囲から尊敬される学僧だった。あるとき、経典を貶めるかのように「教外別伝」「不立文字」を標榜する禅が南方でひろまっていることを知り、これをこらしめてやろうと経典の注釈書を抱えて竜潭和尚のところにやってきた。問答するうちに夜が更けてしまった。 竜潭『そろそろ山をおりたほうがよかろう』 徳山『でも外はまっ暗です』 外に出ると和尚は提灯に灯をつけて差し出した。徳山が受け取ろうとした時、和尚がこれをひと息で吹き消した。その暗闇のなかで徳山はふ

無門関 ZEN & POEM〈1〉趙州狗子

【第1則】 さあ、これはすごーく有名な公案らしいで。『東洋的無』『絶対無』のルーツとか、本の呼び込み文には書いてるぞ」 「イヌも仏になれますか・・・・・・なれないよ、っていうだけのことやろう。ああそういうもんですかと思うけど」 「ところが仏教(大乗)には、一切衆生悉有仏性---いっさいの衆生が悉く仏性を有している(『涅槃経』)というコトバがある(ただし”仏性”のありようには時代や宗派またインド、中国、日本でそれぞれ解釈の違いはあるらしいが)。この場合、衆生というのは生きて

無門関 ZEN & POEM〈5〉香厳上樹

【第5則】 見える通りに感ずるなら すべては美しく輝くだろう 見える通りに書けるなら 時はとどまるだろう 「手足を使わずにね、枝に噛みついてぶら下がってるひとがいたんさ」 「なにゆえに?」 「しらん。そのとき下から質問するひとあり、禅とはなんぞや?と」 「それはカワイソウ。答えるために口をひらけば落っこちる」 「といって、答えなければ非礼となる。さあ、どうするドウスル?」 「究極の選択、かあ」 「ふつうはこの難問も二元的な分別知に引き裂かれているわれわれへの警告と読むらし

無門関 ZEN & POEM〈6〉世尊拈花

「というわけで、これは『大梵天王問仏決疑経』というお経のなかにあるエピソードだって」 「禅宗のルーツというわけか」 「ところがこの『大梵天王問仏決疑経』は偽経だ。インドで編纂されたものじゃなく、中国で誰かが捏造したものだそうだ」 「あれ、それじゃ禅のルーツはいずこに?」 「無い。無いからでっちあげたんやろう」 「でも”教外別伝”いうたら『仏の悟りは経文に説かれるのではなく、心から心に直接伝えられること』、やろ。それやのに、なんでニセのお経まで造るほどこだわったんやろ」 「さあ

無門関 ZEN & POEM〈14〉南泉斬猫

「南泉和尚は趙州和尚の師匠。この公案はすごく有名なハナシ」 「坊さんが殺生はマズイんではないかい?」 「その点に関しては、いろんな説明がされてるけど・・・。キミたちが考えるモラルとか常識とは別次元に禅体験はあるのだ、とか、南泉はネコを斬ると同時に南泉自身をも斬ったのだ、とか、あるいは雲水たちの分別心を斬ったのだ、などなど。いずれにしても、くるしい言い訳という気がするけど」 「ネコに罪はなかろう」 「まあ、南泉を弁護することはできんね。雲水たちの分別意識を斬り捨てるためにはネコ

無門関 ZEN & POEM〈15〉洞山三頓

「洞山は求道のココロザシを抱いて雲門和尚のもとにやってきた。その初対面の会話。 ”何処に”といったって、場所を聞いたわけじゃないと思う。『いつ、お前はお前自身から離れてしまったのか』という問いかけだったのに、洞山はウワの空で的外れの答えをしている。それで雲門和尚は怒ったんではないやろうか?」 「『茶碗をちゃワんと洗いなさい』(七則【趙州洗鉢】)か」 「『照顧脚下』、と書いて壁に貼っておこうかなあ」    1998/12/11