No.99 1989年 初等科教員4人で輪島のフィールドワーク 伝統産業「輪島塗」づくりの現場を経験
前回のエッセーNo.98で、「アジアの伝統産業パンフレットづくり」についての話題を提供致しました。そこでの日本の伝統産業には輪島塗が取り上げられていました。当時から1999年まで5年社会科には「伝統産業」の単元があったのです。その時、アジア各国の伝統産業のフィールドワークをすることは難しいので、せめて日本の伝統産業の代表として輪島塗の産地石川県能登半島の輪島市のフィールドワークをしてみようと計画をたてました。1989年の8月、私一人ではなく他に初等科の男性教諭3人と一緒に2泊3日で輪島を訪ねました。経費は学院から出して頂きました。現在は能登空港が開港されていたり、北陸新幹線が開通したりして輪島にいくにも便利になりました。当時は、上越新幹線で長岡に行きそこから北陸本線の特急電車で津幡に行き、さらに七尾線で輪島に着いたように思います。6時間以上かかった記憶があります。
1987年4月1日に日本国有鉄道(国鉄)から民営化したJRが発足しました。その国鉄時代の「いい日旅たち」キャンペーンとしていくつかの観光地がポスターとして駅の掲示板などに貼られていました。どこの駅か思い出せないのですが、輪島塗の工程の写真が「はつり、磨き、塗り、描き、丹精こめて124。輪島塗」「くつろぎの加賀・能登路」のコピーと一緒に目に留まりました。5年生の子どもの「アジアの伝統工芸パンフレット」の輪島塗が頭にあったのです。その駅でお願いし掲示期間が終了した後に頂いたと思います。その工程の写真がフィールドワークに大きく貢献しました。どこを訪ねるかのヒントを提供してくれたのでした。
当時の輪島でのフィールドワークは、①木地をつくる仕事(木地屋さん)②漆を塗る仕事(ぬ師やさん)③もようつけの仕事(蒔絵師さん・沈金師さん)④輪島特産の地の粉製造(地の粉やさん)を訪ね、それぞれの仕事を見せて頂くと共に、そこで制作している実物をお願いして頂くことにしました。
木地屋さんではお椀の木地をあそこまで薄くすることの技術に驚きました。お椀のふたを光にあてると光が差し込んできます。
椀木地を光に当てると光が差し込んできます。
椀木地の縁や薄く壊れやすい部分に漆を接薬剤に用いて寒冷紗(かんれいしゃ)を貼ります。これを布着せといいます。
輪島塗が他の漆器と最も違うところは、下地の漆を塗る過程です。地元でとれる「地の粉」(ぢのこ)を一辺地、二辺地、三辺地と3回に分けて塗っていくことです。今回のフィールドワークでもその制作現場を訪ねることができました。
地の粉の山です。右下の付箋が大人の大きさと思って下さい。大体の大きさが分かると思います。この土を縦横4㎝ぐらいの大きさにしたものを天日干しして焼きます。
この焼いて黒くなった地の粉を粉にします。一辺地粉、二辺地粉、三辺地粉と細かくなるようにつくります。さらさらの粉になっていきます。それを順番に下地の漆に混ぜて塗っていきます。
輪島塗の花器です。そこがざらざらの粒でできています。すべらない仕組みでしょう。これは自費で買いました。
今回のフィールドワークの一番のお宝は、「輪島塗工程見本椀」を見つけたことでした。124の工程が入っているわけではありませんが、16の工程見本椀を手に取ることができるのです。これを見た時に、授業で子どもたちが五感を生かして、見て、触って、音を聞いて、匂いをかいで、このお椀で味わうことを想像してみたらどんな反応があるだろうかと咄嗟に思いました。結構値段がはるものでしたが、学院で購入して頂けました。ありがとうございました。
1段目 (1・2番目)木地型→木地→木地固め・こくそ
2段目 布着せ→惣身付→一辺地付→空研ぎ
3段目 二辺地付→三辺地付→地研ぎ→中塗
4段目 上塗→呂色(蓋付き)→蒔絵(蓋付き)→沈金(蓋付き)
輪島市漆器研究所発行の「輪島塗ガイドブック」をいただきました。これも授業のテキストに使えそうだと思いました。
帰りは行きとは違うルートで帰ろうと、輪島から七尾線で金沢へ、金沢から北陸本線特急で米原へ、米原から東海道新幹線で東京に着きました。
フィールドワークを基に6時間の「輪島塗の授業」プランをつくり授業を行いました。次回エッセーNo.100でご紹介致します。