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No.102 1973年~ 趣味は素晴らし 人生を広げる映画巡り

 私の大きな趣味は3つあります。温泉・映画・読書です。温泉についてはNo.67でご紹介しています。読書については後にご紹介します。今回は映画の総論についてご紹介できればと思っています。各論は順次ご紹介致します。
 私は1954年に生まれました。1954年は日本の映画界にとって黄金時代というべき年ではないでしょうか。日本映画では「ゴジラ」「七人の侍」「二十四の瞳」が公開された年です。さらに「黒い潮」「近松物語」「勲章」「山椒大夫」「笛吹童子」「君の名は 総集編」なども公開されています。外国映画も「ローマの休日」「赤と黒」「帰らざる河」「波止場」「グレンミラー物語」「オズの魔法使」「恐怖の報酬」などが日本で公開されています。


株式会社東宝          株式会社東宝         株式会社松竹 

 もちろん、生まれたばかりの私がこの年の映画のことを知っている訳がありません。私の記憶に残る映画体験は小学生の5・6年生です。
 おそらく小学校5年生の1965年頃にNHKテレビで放送された字幕の白黒映画「禁じられた遊び」を観たのが外国映画の初体験だと思います。家で父が映画の意味を説明してくれながら観ていた記憶があります。「戦争」というものの怖さを初めて知った瞬間でした。
 映画館で初めて観たのは1966年小学校6年生の時だと思います。小学校からみんなで映画館へ観に行った1964年の「東京オリンピック」の記録映画だったと思います。1964年に開催されたオリンピックを映画化したもので、テレビでは競技の様子を見ていましたが、映画の迫力を実感した初めての瞬間でした。上記2つの体験には記憶間違いがあるかもしれません。正確性に欠けていたところがあればお詫びを致します。


 株式会社アイ・ヴィー・シー                  株式会社東宝     

 中学生の時の映画の思い出は、中1の1967年に自宅の最寄り駅にあった映画館へ、当時の陸上部長距離グループの1・2年生で観に行ったグループサウンズ、ザ・スパイダースの映画でした。その映画をネットで調べてみると、「ザ・スパイダーズのゴー・ゴー向こう見ず作戦」(1967年)というタイトルの映画でした。ザ・スパイダーズ初出演の映画で、「横浜から東京まで一直線に歩き続けている7人のグループが、恋と歌と笑いの物語で描く歌謡爆笑巨編」という解説が見つかりました。2年生の先輩が大笑いしている姿が記憶にあります。
 その後高校生まで映画に関する記憶はあまりありませんでした。
 3つの趣味、温泉・映画・読書も共通しているのは、1973年の大学1年生の時、陸上競技をあきらめてからまずスタートしているということです。
 1973年に外国映画を映画館で観たのは、「ブラザー・サン シスター・ムーン」(イタリア・イギリス、1972年)でした。タイトルに引かれて観たのですが、この映画当時の私にはあまり意味が分かりませんでした。主役のキリスト教カトリックの聖人のフランチェスコはイタリア語の名前でスペイン語だとフランシスコになるようです。ですから現教皇フランシスコはこのフランチェスコからとったのでしょうか。ヨハネ・パウロ2世のように○世と付かないのは初めてその名前を教皇名にとったからでしょうか。
 後ほど書きますが、私の映画のメンターとしている双葉十三郎氏の『外国映画ぼくの500本』(文春新書、2003年)に、「ブラザー・サン シスター・ムーン」は次のように書かれています。「13世紀初頭、アッシジの富裕な商人の息子フランテェスコは、戦争で負傷してから人が変わり、鳥、花を愛し財産を人に分かち与え法王に認められ宗派をひらく。という有名なアッシジの聖フランテェスコ伝。金持ちの過保護でヒッピー的な素質もあるので、聖者への道を歩む姿が、今日的な共感を生むのである。ドノヴァンの音楽と中世的優雅にあふれた美しい風景。ゼッフィリっていい監督だなァ。フランテェスコさん、現代日本に渡来して自然保護運動のリーダーになってほしかったデス。」
 当時この映画の意味が分からなかった私が後にキリスト教カトリック校に勤務するとは夢のような話でした。カトリック校に勤務してから3回ほどVHSビデオテープで観ましたが。
 1973年に日本映画を映画館で観たのは「日本沈没」でした。小松左京氏の原作で日本全部が海に沈んでしまうというSF映画です。CGがない時代によくあれほどの表現ができたと現在から考えることができます。
 1974年には「追憶」「ペーパームーン」などを映画館で鑑賞しました。その後は飛び飛びに観ていましたが、1979年頃、松本清張原作の「砂の器」を池袋の映画館でリバイバルとして観ました。当時、松本清張の著作は私の愛読書(後に趣味として読書について書きます)でしたので特に関心がありました。「ハンセン病」について深く考えさせられました。
 本格的に趣味としての映画に向き合ったのは、教師になって10年後の1990年代に入ってです。その頃は、外国映画特に古典的な映画に関心が向いていました。渋谷の「TSUTAYA」によく通い、VHSのビデオテープ何本かを1週間ほど借りて返すということを繰り返していました。映画に触れれば触れるほど自分の人生が広がることを実感できました。
 2000年を少し超えた時期に、観た欧米の映画を世界の白地図に記入してみたことがあります。欧米の映画が圧倒的に多いことからアジアや南米、国としてはロシア、中国、オーストラリアの映画にも注目するようになりました。
 1969年までに制作された欧米の映画で当時私が観たものです。

1970年以降に制作された欧米の映画で当時私が観たものです。

 上記のように地図に観た映画の題名を書き込むようになり、21世紀に入った頃私にとって映画について視野を広げてくれる「映画のメンター(指導者)」が必要になりました。その一人は映画評論家の双葉十三郎氏でした。2003年から文春新書として発行された双葉十三郎氏の著作が最初のメンターになりました。
『外国映画 ぼくの500本』2003年。
『日本映画 ぼくの300本』2004年。
『外国映画 ハラハラドキドキぼくの500本』2005年。
『愛をめぐる洋画 ぼくの500本』2006年。
『ミュージカル洋画 ぼくの500本』2007年。
『ぼくの特急二十世紀 大正昭和娯楽文化小史』2008年。

 洋画が圧倒的に多いです。『外国映画 ぼくの500本』は私の映画の最初の好みも洋画でしたので、素晴らしいメンターに出会えました。もちろん日本映画にも関心は向けていましたので、『日本映画 ぼくの300本』は私を日本映画の道へさらに進ませていただきました。
 

『外国映画 ぼくの500本』裏表紙より

『外国映画 ぼくの500本』は私が今までで一番持ち歩き読み込んだ本です。
ですから本の紙がこんなふうになってしまいました。この本は宝物です。

 こんな構成でできています。私は500本の映画をすでに観た映画には◎、これから観たい映画には○を付けていきました。

 双葉十三郎氏が500本の映画から最高点を付けた映画は15本ありました。タイトルの後は監督、制作国、制作年です。
『黄金狂時代』チャールズ・チャップリン 米 1925年
『西部戦線異状なし』リュウイス・マイルストン 米 1930年
『大いなる幻影』ジャン・ルノワール 仏 1937年
『駅馬車』ジョン・フォード 米 1939年
『疑惑の影』アルフレッド・ヒッチコック 米 1942年
『天井桟敷の人々』マルセル・カルネ 仏 1945年
『サンセット大通り』ビリー・ワイルダー 米 1950年
『河』ジャン・ルノワール インド 1951年
『恐怖の報酬』アンリ=ジュルジュ・クルーゾー 仏 1952年
『禁じられた遊び』ルネ・クレマン 仏 1952年
『水鳥の生態』(ドキュメンタリー) 米 1953年
『野いちご』イングマール・ベルイマン スェーデン 1957年
『突然炎のごとく』フランソワ・トリュフォー 仏 1961年
『スティング』ジョージ・ロイ・ヒル 米 1973年
『ザッツ・エンタテイメント』ジャック・ヘイリー・ジュニア 米 1974年
 
 私は『水鳥の生態』を除いて全て観ることができました。どれも素晴らしい作品と感じました。
 もう一方のメンターは講談社発行の『週刊20世紀シネマ館』です。2004年1月から2005年7月まで、No.1~No.60の全60巻で構成されました。
 

 1つ1つの映画がとても詳しくプレゼンテーションされています。
 第1号は1954年①です。私が生まれた年でオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」がトップで出ています。

 スペイン広場の階段上の建物は当時ローマの聖心女子学院の校舎だと聞かされていました。
 60巻で主にプレゼンされた作品一覧が第60号に掲載されていました。ピンクの蛍光ペンで塗ったのは私がそれまでに観た映画です。

 メンターに導かれたくさんの映画を観ることにより、私の人生を広げることができたのではないでしょうか。映画巡りは大切な趣味です。
 ちなみに私が最も好きな映画は、「ニュー・シネマ・パラダイス」完全オリジナル版(ディレクターズ・カット版 イタリア=フランス映画、1989年制作)です。音楽も素敵です。外国映画と素敵な音楽の調和は本当にいいですね。


  角川エンタテイメント

 完全オリジナル版(ディレクターズ・カット版)にある、若い時不運にも別れ中年になり二人が出会った場面で流れる「ニュー・シネマ・パラダイス 愛のテーマ」は好きです。
YouTube ニュー・シネマ・パラダイス 愛のテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=82FA2ySRxu8
 
 この時の女性の役を演じていたのが、46歳のフランス女優ブリジット・フォッセーだったのです。そうです、私が初めて洋画をテレビで観た「禁じられた遊び」の主人公の女の子ポーレットを5歳の時演じたあの人だったのです。私はこの完全オリジナル版(ディレクターズ・カット版)をDVDで観たのですが、この女優どこかで観たような気がしたので、調べて分かったのです。偶然ですがとても嬉しくなりました。
 
ブリジット・フォッセー
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC
 
 外国映画の記述が多かったですが、日本映画もよく観ています。今関心があるのは1960年~1967年(昭和35年~42年)ぐらいまでの私が子どもの頃見た景色が映っている日本映画を観ることです。「あんな景色観たことあるな」という思い出を辿りたいのです。東横線・目黒線の多摩川駅には私が子どもの頃「多摩川園」という遊園地がありました。当時は駅名が「多摩川園」でした。先日ある映画で当時の遊園地「多摩川園」とその周りの公園(現在の多摩川台公園だと思います)の風景を観ました。いくつかの場所は記憶にありました。その時代にタイムスリップした気分でした。
最近では、「Amazon prime」や「star channel」で日本映画・外国映画を観続けています。

 映画こそわが人生です。

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