No.21 1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊 子どもの自由研究「ベルリンのかべ」 翌年ベルリンへ
私が教員時代に国内外で大きな出来事がたくさんありました。日本航空墜落事故(1985年)、旧ソ連チェルノブイリ原子力発電事故(1986年)、中国天安門事件(1989年)、ベルリンの壁崩壊(1989年)、東ドイツが西ドイツに編入されてドイツが再統一(1990年)、イラクとアメリカ率いる多国籍軍の争いの湾岸戦争(1991年)、ソ連崩壊(1991年)、阪神淡路大震災(1995年)、地下鉄サリン事件(1995年)、イギリスが中国に香港を返還(1997年)、アメリカ同時多発テロ(2001年)、日本人拉致問題で日朝首脳会談(2002年)、イラク戦争(2003年)、リーマン・ショックで世界的な不況(2007年)、自民党に代わり民主党が政権をとる(2009年)、東日本大震災(2011年)、イギリスがEU離脱を国民投票で決める(2016年)、西日本豪雨被害(2017年)、新型コロナウイルスが発症し世界中に感染が広がる(2020年)など。
このような出来事の中で、私に一番驚きとこれからの世界はどのように展開していくのかを関心を高めてくれたのがベルリンの壁の崩壊です。子どもの頃から米ソの対立に代表される資本主義と社会主義の東西の対立が国際社会の大きな問題でした。その象徴の一つがベルリンの壁でした。ベルリンの壁とは、当時の東ドイツの中にあるベルリンは東ベルリンと西ベルリンに分かれ、東ベルリンは旧ソ連などが支持する社会主義の東ドイツの地域、西ベルリンはアメリカなどが支持する資本主義の西ドイツの地域でした。1961年に東ドイツが西ベルリンを囲む壁を突然つくったのでした。東ベルリンと西ベルリンとの移動ができなくなりました。この壁が崩れることにより社会主義の多くが崩壊していくことになっていったのです。
2019年5年生、2020年6年生を担任し、社会科は両方のクラス(当時は各学年2クラスでした)を担当していました。この時、No.17でご紹介しましたように、新聞界の方と出会い本格的にNIE(Newspaper in Education)を展開する時期にあたりました。
この実践については、「新聞と友だちになろう」を参照していただければと思います。
この中で「『新聞』に関する自由研究」で子どもたちは新聞を活用して実に多様な研究に取り組んでいました。その中で1989年の11月9日の「ベルリンの壁崩壊」は時事問題として授業で取り上げましたが、それを自由研究として追求した子どもがいました。その作品をご紹介します。
ベルリンの壁が崩壊していくようすを見事に表現している作品だと考えました。
この子どもの作品に影響を受けて、私も変化する東ヨーロッパをこの目で見たくなり、1990年7月に、ベルリン、ドレスデン、ブダペスト、プラハ、ワルシャワをフィールドワークしました。最初に訪れたのがベルリンでしたが、その前に航空機の関係でモスクワの空港に2時間滞在しました。航空機を降り買い物をしたり、人のようす見たりしていました。ソ連の時代です。機関銃をもった警備の兵隊の行動が印象的でした。この国もいずれ崩壊して資本主義の国になるのだろうと想像はできましたが、ウクライナを侵略する国になるとは当時全く想像はできませんでした。
最初に訪問したのがベルリンです。何といってもベルリンの壁を見て触ってみたいという思いが一杯でした。幸運なことに、まだベルリンの壁は存在し、訪れた人が置いてあるハンマーで壁を削って持ち帰ることが認められていました。
私も写真を撮ると同時に削って東京まで持ち帰られる量をスーツケースに詰めてその後の東ヨーロッパの都市を移動しました。
このベルリンの壁は、その後6年生で現代史を学ぶ時に授業で使い、ある期間廊下に展示しておきました。子どもたちはよく触ってくれました。実物のもつ教育的意味を考えさせてくれました。
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