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No.131 1954年~2024年 古希「自分史」を振り返る

 私の「自分史」作成は還暦を過ぎた頃から書き始めました。「自分史」を綴るための資料は、父や兄など家族が撮影した写真や母が保存しておいてくれた私に関するもの、友人・在籍していた学校関係者・勤務していた聖心関係者・メディア関係者など多くの方が撮影して下さった写真や提供して下さった私に関するもの、自分自身が記録したもの・出版したもの・発表したものなどたくさんありました。まだ十分できていないのですがそれらの資料を整理し、生まれた1954年から現在の2024年まで文章と写真で構成して作成してきました。
 その「自分史」と聖心最後の年に校務分掌の1つ研究委員長として初等科の先生方へ話す機会に作成したパワーポイント「聖心の教師としてどう生きてきたのか-私の39年聖心教師体験記-」、そして初めて書いた日記「聖心女子学院初等科教師ラスト1年日記」(最後の1年閏年366日すべての日記)と定年退職後の4年間書いてきた「フリーランス飛び飛び日記」も資料の参考にしてこのエッセーを発信しています。
 2024年7月に私は古希を迎えます。1月2日に久しぶりに家族が我が家に揃いました。全員での写真を撮り、冒頭の私が誕生して家族揃っての写真のように3人の子どもと妻の5人で写真を撮ったり、子ども3人と孫3人一緒の写真を撮ったり楽しい一時を過ごせました。
 No.33「1981年~ ラッキーナンバーは長嶋茂雄氏の背番号3」で次のことを書いています。「プライベートなことですが、私の兄弟姉妹は3人で、生まれた順は男・女・男です。私の子どもの兄弟姉妹は3人で、生まれた順は男・男・女です。私の孫の兄弟姉妹は3人で生まれた順は女・男・男です。みんな男性2人、女性1人です。生まれた順番は3つの可能性がありますが、その3つの可能性全てが満たされました。孫の3番目の男の子体重は3000g丁度でした。これも偶然なことでした。」
 私の人生も偶然なことが一杯ありました。人生とはそういうものでしょう。そこに人生の楽しさがあります。思い通りにいかいないことの方が多く、そういう時は結構偶然に任せてきたようです。
 私の人生は4つの時期を経てきたと考えています。
第1の時期は乳幼児期 1954年7月~1961年3月 生まれてから小学校入学まで
家族の庇護のもとに育ち父・母の在り方に大きな影響を受けた時期です。
よく言う「三つ子の魂百まで」という諺は「乳幼児期に人格形成の基本ができあがる」ということになるでしょうか。その時期のことは覚えていないことが多いのですが、手元にある資料から当時のことを辿ってみるとも楽しいことしか浮かんできません。父・母・兄・姉(兄姉は双子で学年で8年の差があります)で末っ子の私は甘やかされて育ったようです。随分得をしたようです。のんびりと育ててくれたイメージがあります。

姉に抱っこされて

 父は公務員、母は専業主婦でしたので、母からの庇護が占めていて末っ子でしたので家族から暖かく見守られていました。親戚の方々からも可愛がられていました。
 父の姉で「麻布のおばさん」と呼んでいた方がいました。東京都港区の麻布に住んでいてその家に行くとよく従兄弟姉妹が「麻布十番」へ連れて行ってくれました。その中でも「あやちゃん」と呼んでいた兄・姉と同年齢のお姉さんがよく一緒に遊んでくれました。そのお姉さんはとても活発で行動的でした。麻布十番は今でも有名ですが当時も私が住んでいる近くの商店街とは大違いで、行くといつもワクワクしていました。特に「小林玩具店」はおもちゃが魅力的で麻布に行くといつも寄っていました。数年前に当時を思いだしながら「小林玩具店」を訪ねてみました。まだ営業していました。

麻布で 真ん中が「あやちゃん」

 母の兄で「いなかのおじさん」と呼んでいた方がいました。埼玉県鴻巣市で農家をしていました。稲作と蚕を育てていました。自宅の2階には蚕を育てる場所があり、よく蚕が成長する様子を見ていました。従兄弟姉妹がよく遊んでくれました。夏に何日かお世話になり帰る時に蚕と桑の葉をもらい家で育てて蛾になるまでよく見ていました。いなかのおじさんの家の側には小さな川があり、よくザリガニをとっていました。その小さな川によく落ちたそうです。遠い田舎はありませんでしたが当時は田園風景がいっぱいで私にとっては楽しい田舎でした。井戸水で冷やしたスイカがとても美味しかったです。

鴻巣のおじさんの家の近くで

 母の姉で「ほりきりのおばさん」と呼んでいた方がいました。東京都葛飾区にに住んでいました。堀切菖蒲園の近くです。このおばさんはとても元気な方でお世話をよくしてくれました。従兄弟姉妹もよく遊んでくれていて家から少し離れたところにも連れて行ってくれたように覚えています。小学校の低学年ぐらいの時大きな従兄弟姉妹のお兄さんがアメリカに輸出する玩具を作っている会社に勤めていて飛行機の玩具をくれました。日本で売っているものではなかったので近所の子どもに自慢していました。
 
 3つの親戚の家には幼児期から小学生までとてもお世話になっていました。おそらく12人ぐらいいた従兄弟姉妹で私が最も年齢が小さくいつも「ゆーちゃん」と呼ばれ可愛がってくれていました。私の父・母・兄・姉、親戚のおじさん・おばさん、従兄弟姉妹のおにいさん、おねえさんに幼児期から小学生ぐらいまで可愛がられ育ってきたのです。一生に一度しかないこの大切な時期に多くの方にお世話頂きたくさんの思い出がありとても幸せだったと今考えています。「三つ子の魂百まで」の諺は重みがあるものだと感じました。
 
第2の時期は学生の時期 1961年4月~1981年3月 小学校から大学院まで
家族・学校の教育のもとに育ち、父・母とともに学校の先生方、友人の在り方に大きな影響を受けた時期です。父・母ともに私が真剣に考えて決めた選択を1度も否定することはありませんでした。すべて私の意向を尊重してくれたのです。こんなに頼もしい親に今でも感謝しています。私が小学校1年生の時、猩紅熱(しょうこうねつ、現在は溶連菌感染症という病名にされています)という病名で2週間生まれた病院に隔離された時のことです。全く家族と会えずに毎日寂しい思いをしていたようです。その時病院から家族に書いた手紙を母が大切にとっておいてくれたのです。後に教師になった時にこの手紙を見せてくれその後も大切に保管しておいてくれたのです。「母の宝物」だったようです。私にとっても「母が大切にしていた宝物」です。

 もう1つ母がずっととって置いてくれたのが私の「通信簿」です。母は教育に関心を持っていましたが、決して教育ママではありませんでした。成績が悪かった私を1度も叱ったことがありませんでした。父と一緒にどのような選択も許可してくれました。小学校1年生から高校の学力テスト・大学院・小学校免許を取得のための大学の通信課程の成績まですべて保存しておいてくれました。私は「はい」と言って渡したものを丁寧に取っておいてくれ教師になってから渡してくれました。教師という職業に付いていると自分のすべての「通信簿」は興味があります。

 学校の先生のことはエッセーNo.80「1961年4月~ 小学校から大学院まで私を担任、指導教授して下さり、教師に導いて下さった先生方」を参照して下さい。
 
第3の時期は社会人の時期 1981年4月~2020年3月 聖心女子学院初等科教師
 この時期についてはエッセーの中心的なテーマですので、エッセー全体をご覧いただければ幸いです。
 ここで二人のメンターをぜひご紹介したいと思います。
お一人は聖心会のシスター伊庭澄子氏です。伊庭氏は私が聖心女子学院に就職させて頂いた時の理事長でした。任用の辞令に「学校法人 聖心女子学院 理事長 伊庭澄子」とありました。その伊庭氏が1991年10月に理事長職から私が勤務していた東京の聖心女子学院初等科・中高等科の校長に就任されたのです。聖心女子学院全体の理事長が1つの学校の校長に就任されたのです。私学の組織の在り方を十分理解していなかった私ですがこの人事は随分驚きました。その後、私が勤務していた学校が開かれた学校に大きく変化していく過程は内部にいて感じました。それと共に私自身の実践や研究、メディアへの対応も大きく変わり今までにない展開をさせて下さったのです。外国への研修・外部の方への授業公開や研究発表・メディアからの取材など私の教師人生のターニングポイントになり、1997年3月に退任された後も歴代の校長のシスター方は定年退職するまでその方針を維持して下さいました。シスター伊庭澄子氏は私の学院での教師人生を振り返る時最も影響を受けた方と捉えることができます。
 
 もう一人のメンターは川田龍哉氏です。川田氏は1998年私の現役時代から定年退職後の現在「学びの未来研究所」「私立小学校研究所」などでの活動の26年間メンターとして指導して頂いています。
川田氏は慶應義塾大学文学部を卒業されていますが、慶應在学中には新聞研究所(現メディアコミュニケーション研究所)に所属していました。その後、東洋館出版の編集部に勤務されていた時、1997年頃プレスセンターで定期的に行われていたNIEの研究会に参加されていました。私の教育やNIEの考え方に共鳴して頂き、その後東洋館出版で実に多くの書籍を出版させて頂きました。定年退職後も含めて20件の書籍の出版に関わって下さいました。
 
①共著『誰でもできるNIEガイド 新聞をエンジョイ!』1998年6月
②共著『誰でもできるNIEガイド2 総合的な学習で新聞名人』1998年6月
③聖心女子学院初等科著『聖心の教育-知的能力、心の力、実行力の開発に向けて』
 2002年6月
④日本NIE研究会著『新聞でこんな学力がつく』2004年4月
⑤私立小学校社会科研究会『これだけは身につけよう! 社会科の基礎知識』2006年
4月
⑥共著『子どもを育てる五感スクール 感覚を磨く25のメソッド』2006年6月
⑦聖心女子学院著『改訂 聖心の教育』2006年6月
⑧私立小学校社会科研究会著『ここまでできるよ! 社会科の発展学習』2007年3月
⑨私立小学校社会科研究会著『地図はともだち!』2007年11月
⑩共著『メディアリテラシーは子どもを伸ばす』2008年3月
⑪共著『誰でもできるNIEガイド3 新聞を活用した読解力向上ワーク』2008年6月
⑫私立小学校社会科研究会著『改訂版 これだけは身につけよう! 社会科の基礎知識』2011年4月
⑬私立小学校社会科研究会著『改訂版 地図はともだち!』2011年4月
⑭日本NIE研究会著『新聞で育む、つなぐ』2015年6月
⑮聖心女子学著『聖心の教育-女子校発の4・4・4制-』2016年4月
⑯私立小学校社会科研究会著『三訂版 これだけは身につけよう! 社会科の基礎知識』
 2016年4月
⑰共編著『やさしい主権者教育 18歳選挙権へのパスポート』2016年6月
⑱私立小学校社会科研究会著『これだけは身につけよう! 社会科の基礎・活用』2020年3月
⑲私立小学校社会科研究会著『三訂版 地図はともだち!』2020年3月
⑳共著『だいはっけんノート』一莖書房、2023年7月
 
第4の時期 定年退職後 2020年4月~ フリーランスの研究・仕事
 定年退職時は新型コロナ禍の始まりと重なり行動が制限され、研究も仕事も十分計画通りに遂行することはできませんでした。それでもメンターの川田氏の指導により「学びの未来研究所」の共同代表、「私立小学校研究所」の代表、早稲田大学教師教育研究所招聘研究員として研究を進めてきました。また、日本NIE研究会会長として2022年から横浜でフォーラムを再開し2024年には本格的に再スタートする予定です。仕事はフリーランスで依頼のあった個人指導や幼児教室での指導を無理のない範囲で行っています。フィールドワークでは妻と一緒に各地を訪ねる旅をゆっくりしています。
 定年退職後のこともエッセーで探して頂けましたら幸いです。
 
 私はこの「自分史」を書き記すようになった還暦の60歳からもう少しで迎える古希の70歳までおよそ10年自分の人生を振り返ってきました。人生100年時代と言われるのですから、これからもっともっと楽しいことが起こることを期待して過去の出来事の良かったことを思い出し、現在をしっかり生きることを心がけています。そのために6つの指標を立てそれぞれがどうかたまに振り返っています。以下の6つの視点です。
健康・家族・コミュニケーション・趣味・ライフワーク・仕事
これらも大切にしている順に並べています。精神科医の樺沢紫苑氏の「脳内物質で決まる3つの幸福」に当てはめると、健康・趣味は心と身体の健康 セロトニン的幸福)、家族・コミュニケーションは(つながり・愛 オキシトシン幸福)、ライフワーク・仕事は(成功・お金 ドーパミン的幸福)になります。樺沢氏の提示する3つの幸福の優先順位は(心と身体の健康)→(つながり・愛)→(成功・お金)としています。私の幸福の優先順位、健康→家族→コミュニケーション→趣味→ライフワーク→仕事の順は間違っていないようです。
 
 人生について次のような文章に出会いました。
「人生を一つの織物にたとえれば、規範Aはたて糸(経糸)で、感情Bはよこ糸(緯糸)です。たて糸は人生の織物を頑丈なものにしている大切な構造で、人生を継続させる基盤です。よこ糸はそこにきれいな模様を浮かび上がらせる人生の楽しみ・潤いです。たて糸がないと模様は表現できません。また、たて糸は一度セットすると簡単には入れ替えができません。だからこそ人生は安定しているのです。しかし、人は一生のうちに何度か、たて糸を入れ替える、あるいは継ぎ足す作業をしなければなりません。」(高橋和巳『精神科医が教える聴く技術』ちくま新書、2019年。より)
 たて糸を入れ替える時期は人によって異なるでしょう。私の入れ替え時期は
前記の学生になった時期社会人になった時期定年退職後のスタートの時期にあったのだと考えています。
 
 2024年は家族での集まりが久しぶりに出来て楽しいスタートでしたが、私にとってその後も大切な時期になるようです。
私がメンターの古銭先生とで出会ったのが1974年で2024年は50年目になります。初めて古銭先生との共著の出版が1984年で2024年は40年目になり、私が39年間勤務した聖心女子学院の週休2日制が始まったのが1974年で2024年は50年目になります。日本でおそらく最も早い時期に始まった学校週休2日制のおかげで実践や研究に多くの時間を当てる教師時代を過ごせました。2024年7月は私が70歳の古希を迎えます。また2024年7月1日は私が生まれ育った川崎市が市制施行100年を迎えます。今でも小学校や中学校の交流をしている仲間と2024年7月には「川崎市制100年古希プチ同窓会」を開催します。私も仲間も市制30年の時期に生まれています。メンターの川田氏の指導のもと私の教師時代とその前後を綴った著書も7月に発行予定です。
 秋には聖心の卒業生がコロナ禍で中断していた集まりを再開してくれるようです。
 私は70歳を再スタートの年にしていくつもりです。そして、これからを人生のピークにしていけたらと考えています。
 
こんな楽しい本を読んで備えています。
弘兼憲史著『人生は70歳からが一番面白い』SB新書、2018年。
鎌田實著『70歳、人生はもっと楽しくなる』だいわ文庫、2021年。
和田秀樹『70代から「いいこと」ばかり起きる人』朝日新書、2023年。
毒蝮三太夫『70歳からの人生相談』文春新書、2023年。

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