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No.33 1981年~ ラッキーナンバーは長嶋茂雄氏の背番号3

 私が1981年に初等科3年生の担任になった時から、現在学びの未来研究所共同代表で研究や仕事に取り組んでいる現在まで、私のラッキーナンバーはかと思っています。本来、ラッキーナンバーのような運に関わることにはあまり関心を示してこなかったのですが、エッセーNo.で紹介した『スポーツ記者を追いかけろ』の出版に際して、当時読売ジャイアンツ監督の長嶋茂雄さんに推薦していただいた経緯から、長嶋氏の現役の背番号3監督の背番号33から3という数字に自分自身が関わっていることが多いと思うようになりました。それで、No.33でラッキーナンバーについて書いてみました。

拙著『スポーツ記者を追いかけろ』リブリオ出版、1993年。より

 私が教師1年目初めて担任し、そしてここでの教育体験がその後の初等科での教員人生に大きな影響を与えてくれた学年が3年生でした。3年生の担任はこの1度だけでした。この学年の子どもたちを3年生4年生6年生の3回担任しました。初めて担任したある子どもがお母さんになり3人の娘さんを初等科に通わせて下さいました。
 私は39年間初等科の教師として勤務しました。39という少し半端な数ですが、39を割り切ることができる数は1とと13と39です。3が入っていますね。その39年の2/3の26年間が担任、1/3の13年間が社会科専科でした。ここにも3が関わっています。
 私の39年間の研究活動で、外部の方(姉妹校は除く)への公開授業は18回でしたが3で割り切ることができます。海外学校授業視察は21回でしたが3で割り切ることができます。著・編著・監修・編集委員長などの主な著書数が30件です。これも3とともに3で割り切れる数です。編集委員長・編集委員・執筆などを務めさせていただいた聖心女子学院関係の著書(改訂版は除く)の出版は3冊でした。雑誌の執筆が24本研究報告書数が21本研究報告数(学会の10回を含む)が24回。いずれも3で割り切れる数です。私立小学校の全国組織である日本私立小学校連合会での公開授業・研究発表(全国大会・東京地区)の数が9回です。これも3で割り切れます。

 プライベートなことですが、私の兄弟姉妹は3人で、産まれた順は男・女・男です。私の子どもの兄弟姉妹は3人で、産まれた順は男・男・女です。私の孫の兄弟姉妹は3人で、産まれた順は女・男・男です。みんな男性2人、女性1人です。生まれた順番は3つの可能性がありますが、その3つの可能性全てが満たされました。孫の3番目の男の子の体重は3000g丁度でした。これも偶然なことでした。

 2021年の12月に妻と2泊3日で秩父へ旅行にきました。3日目、西武秩父駅の近くを散策するためロッカーに荷物を入れようとしました。空いているロッカーは1つだけで33番でした。
 通っているフィットネスクラブのロッカーも3か33どちらかは空いていることが多いのでよく使います。もちろん空いていない時は別のナンバーのロッカーを使いますが、できるだけ3の倍数のものを探します。
 歳のせいか夜中に起きることがたまにあります。2022年の2月27日と3月5日に起きた時刻をそばにあるスマホで見たら、3:33でした。偶然の面白さに思わず笑ってしまいました。
 現在、家で飼っているドジョウは3匹です。この3匹のドジョウ飼い始めて8年がたち9年目に入っています
 私は現役の教師の時、「学び続ける」「働き続ける」「遊び続ける」の3つのモットーを心がけてきました。このモットーは定年退職後も続けています(この話題は後に書きます)。
 
 このような偶然性も以前は見過ごしてきましたが、楽しいことに繋がるラッキーナンバーとして捉えていこうかと思います。
 

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