絶句

出張先で血尿に気がついたのは1月26日のことだった。赤く染まった便器にぎょっとしたが痛みは全くなかった。長期出張から戻りようやく2月6日の夕方に家の近所の泌尿器科クリニックに行った。

まだ血尿は続いていた。最初は出ないが途中すぐに赤い血が混じり、最後に血はまた収まる。最初から最後まで真っ赤という訳ではなく相変わらず痛みもない。早速血の混じった尿検査をしてもらった。クリニック内の簡単な検査で内臓疾患ではなく、可能性としては石か癌だと言われた。石の場合は腰のあたりが痛くなるのでそうなったらすぐに医者に行くように言われた。おそらく石ではないなと漠然と思った。なぜか血尿は翌日からピタリと出なくなった。

再度長期の出張に出たので、血液の詳細な検査の結果を聞きにいったのが2月26日の夕方である。血液検査で見るかぎり問題はない。つまり癌ではないということだった。それでも見過ごすのが怖いからとエコー検査をされた。
まず右の腎臓。水がたまっているがこれは加齢によるもので問題ない、3mmぐらいの石があるけどこれくらいならそのうち自然に出ると言われた。左の腎臓は全く問題ないと。そして膀胱にエコーをあててすぐに、あれ?と医師は言った。
「これからすぐに内視鏡の準備をします。すぐに準備できますから」
「麻酔してくれるんですよね?」
「麻酔なんかしてる時間で終わってしまいますからしません」
とたんに腰が引けた。

5分も待たずに別室にとおされ、分娩台のようなベッドでパンツを抜いて股を開いて仰向けになった。ちょっと消毒します、と先っぽをつままれアルコール消毒されて内視鏡は挿入された。声がでそうになる。
「力いれると余計痛いです。力抜いてください」
力を抜こうとしても抜けない。
「癌です」
という医師の言葉を人ごとのように聞いた。
「他にないか見ますのでもう少し我慢してください」
脂汗がにじんだ。
「他はないです。ひとつだけです」

内視鏡検査が終わると、再び診察室にとおされ8mmぐらいの腫瘍であること、この先はここでは無理なので大きな病院を紹介すると言われた。
2つ候補の病院を提示されたが医師の意見も参考にして自宅に近い大きな新しい病院に決めた。膀胱癌の再発の可能性50%、もし最悪膀胱摘出になってもその病院なら大丈夫という言葉が耳に残った。
地域医療の連携ですぐにその病院の診察の予約をとってくれるが、夕方ですでに相手の病院の事務は終了していた。翌朝9時にクリニックから電話があり、相手の病院を受診できる日時の候補を言われた。最短の2月29日にしてその日のうちに紹介状を受け取りにいった。その迅速さに感謝した。
2月29日にカミさんと一緒に病院に行きエコーの画像を見ながら手術の日程を決めた。これも病院が空いている最短の日程で入れた 3/12入院、13日手術、16日退院のスケジュールが決まった。
カミさんには膀胱癌であることや、8mmぐらいの大きさであることなどは当然伝えていやが、中1の娘にはどうしようか迷っていた。しかし入院の理由など説明しなければならないだろう。言うことにした。「お父さん癌なんだよ」と言ったときの娘の驚いた顔は忘れられない。8mmぐらいだと言うと少し安心したようだった。

入院までに保険の申請の手続きの準備を進めることにした。確か癌になったもう保険金を支払わなくてもはずだ。と思っていたがそのオプションはついていなかった。入院、手術、一時金が出るのがわかった。一時金はウン百万円出る。会社で入っているがん保険も少しは出ることがわかった。

この先どうなって、どのくらい治療費がかさむかわからない。しかし一方、一時金の一部を使って来年の3月の1ヶ月、南米に釣りに行こうと漠然と想像し始めた。ブエノスアイレスの格安航空券の値段を調べたが、昔と変わらない価格で行けることが分かった。100万円もかからないはずだ。そのプランは生きることにたいするひとつの「よすが」になりえた。がん保険で南米に釣りに行ってやる。

入院前にいろいろな書類にサインをかかなければならない。手術の同意書に書かれた「膀胱癌」の文字を見てわかってはいても気持ちは塞ぐ。

浅野さん、と声をかけられベッドの上で目を覚ます。思ったよりも小さかったです、医師は続けた。どうのくらいかかったんですか?と聞くと。実働5分かなと言われた。
内視鏡手術なので簡単だろうとは思っていたが想像以上にあっけなく手術は終わった。小さいことはいいことには違いないが、問題は根の深さもある。できれは根が浅く上皮質に収まっていて欲しいと思った。7mmぐらいの膀胱壁のどこまで達しているかで、ステージも決まるのだ。

術後も18mmのカテーテル尿道に入ったままだった。手術で入れたのをそのままにしているのだろう。尿はそこからビニール袋の垂れ流しとなる。過去にも経験があるがそのときとは比較にならない不快さと、尿意と同時に残尿感である。排尿しようと力むと痛い。

翌朝、スラッとしたきれいな女性の看護師さんが拭きにきてくれたが、その時に痛い旨を伝えるとチューブを固定するテープの位置を直してくれた。尿道が引っ張られるようなかんじで止まっていたらしい。痛さと違和感は大きく改善された。その後局部をおしぼりで拭いてくれたが、ここで硬くなったら気まずいよなあなどと思い、あやゆくアレだったが、そもそもこんなもん入ったまま硬くなったらどんだけ痛いだ!と気づきことなきをえた。

15日に尿道からチューブが抜かれたときの恐怖と、開放感は忘れられない。最初のころこそ最後に痛みは走ったがそれもじきに収まり、血尿も止まった。血尿は腫瘍を切除した箇所からのものではなく、尿道の傷なのではないかと思う。放尿というのはとても気持ちのよいことで、その解放感をおおいに実感したのだ。

再発率50%といわれる膀胱癌である。おそらく再発したら何度か膀胱癌の切除をするのだろう。しかし限度があるはずで多発すれば、他の場所に転移する前に膀胱切除である。膀胱切除とは膀胱だけでなく尿道、つまり性器も含めた臓器をすべてとるということだ。お腹に穴をあけて尿の出口をつくり、そこから外に尿は出す。尿はずっとちょろちょろと出続けることになる。つまりストーマである。最近公衆トイレでみるオストメイトである。
そこまでして生きていたくはないと思う。それが正直な気持ちである。しかしそこで死を選ばせてくれる選択はないだろう。自死か。できるか? 真綿で首を絞められるようにこれからの人生を生きて行くのかも知れない。

娘がインフルエンザにかかったので1日入院はのび3/17(日)の退院となった。薬が出されるでもなく。特段何かを制限されるでもなく。退院後の診察の予約をまた最短の3月25日にした。カミさんと二人で行った。今後の治療の方針を聞くことになるのであろう。

画面にはおそらく内視鏡で撮影した切除前の腫瘍の写真が写っていた。
「いかがですか?調子は?」
「血尿もないですし、全く問題ないです」
「結論からいうと、癌じゃないです。良性です」

絶句、である。いろんな思いがこみ上げてきて、力が抜けた。

「切除したときも、6:4で良性だなと思ったんですけど、4の可能性もあったし」
「経過観察しなくていいんですか?」
「いいです、終わりです。まあまた血尿でたとか頻尿とかあったら来てください」

地獄から「天国に突き落とされた」感じ。南米いけねーじゃん!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?