ラップ、ヒップホップ、MCバトルが好きだ

ラップという歌唱法が好きです。

ヒップホップという思想が好きです。

MCバトルという人間ドラマが好きです。


分けて書くほどでもないけど幅広く言及するので、長い記事になりそうな気がしている。



ラップという歌唱法との出会いは、RIP SLYMEとの出会いと同じだった。小学生の頃だったと思う。たぶん楽園ベイベーあたりを音楽番組で見かけて、それ以降、なんとなく好きだな、ぐらいの認識をしていた。

それをラップという歌唱法だと認識せず、なんとなくかっこいいなと思っていた。


中学1年生か2年生の頃だっただろうか。僕も含め、周囲が何かしらの音楽を聴き始めるような時期だった。

嫌いな人たちと同じものを好きになりたくないと理由で流行り物が嫌いだった僕は、とにかく流行っているミュージシャンたちを聴かないようにしていた。避けていた。

結果、僕がレンタルCDショップで手に取ったのは、なんとなくかっこいい印象が残っていたRIP SLYMEのアルバムだった。

もちろんRIP SLYMEだって流行っていた。けど、全部の曲を聴いている、というほどハマっている人はいなかった。


たぶん、ベストアルバムが出たての頃だった。その「グッジョブ!」を借りて、家族共有のパソコンに取り込む。

安いイヤホンをつけて、ひたすら聴いた。


ちゃんと「音楽を聴く」という行為をしたことがなかった僕は、衝撃を受けた。

ガキが何かにハマるなんて、簡単なことだと思う。今までテレビで聴いた音楽と何かが違うな、ということには気づいたけど、この心の高揚感はなんなのだ?と、無性にそわそわした。


RIP SLYMEというグループの音楽性は、とんでもない。

DJ FUMIYAが作るトラックが、「なんでもあり」にしてしまう。

PESがポップさを引っ張り、RYO-Zがラップスキルとリズム感引っ張り、ILMARIとSUがその2人からさらに離れた部分の声で唯一無二のバランスを作る。


それと、MC4人全員、リズム感がすごい。そして、「聴いてて気持ちいい」を難なく体現してしまう。

日本語の発音を崩したり想定できないワードチョイスをしたりして、ひたすら気持ちよくさせてくれる。

気持ちよさのためなら韻に縛られない。それでいて伝えたいことがある曲では、ズバッと主張があったりする。

他のヒップホップでよく見られていたような、リリックへのストイックさは少し少ないように思う。もちろんいい意味で。

僕はそういうところが好きだ。

まだヒップホップ色が強かったインディーズ〜メジャー初期なんかでも、唯一無二だ。


僕の、ラップという歌唱法への愛は、RIP SLYMEが作ってくれたものだ。

RIP SLYMEを聴くときだけは、他のラッパーたちとは違う楽しみ方をする。



そこから当然、他のラップ、ヒップホップを聴くようになっていく。

KREVAやKICK THE CAN CREWからFGを経て、徐々にいわゆる「ハーコー」だったり、さんぴん世代、それよりもっと前の「初期ヒップホップ」。


レコードに凝るほどお金は無かったけど、CDショップを死ぬほど回って「ディグ」りまくった。

高校生になると、地域に根付くヒップホップを知りたくて、根暗なりに頑張ってクラブに行ったりもした。詳細は省く。楽しかったし、大変だった。


様々なヒップホップを「聴き分けられる」ようにはなったと思う。

こういう思想だな、とか、ここにこだわる人なんだな、とか。


ただでさえヒップホップというのは、「主張が強い」、「純粋な」音楽だ。

その人の人生、ドラッグがどうやら、身内が死んで悲しい、脳内世界、アート、苦労も成功も、なんでもかんでもリリックになる。

それを、ある種「ラップ」という制約のもと、表現していく。


作詞や作曲の話になるが、韻があるから生まれる歌詞がある。

僕は歌詞を作れと言われると1番で言いたいことがなくなったりするので、そこから韻で言葉を紡いだりする。

聴き心地もいいし、尺(?)も稼げるし、一石二鳥である。


さて。

ラッパーたちの多くは、自分の発言というものを、とても大切にする。

リアル、ということ。

嘘はつかない、発言に責任を持つ。

「人間」が、歌詞だけでなく、生き方に乗る。


嘘ばかりついて誤魔化して逃げてその場を収めることに長けていた僕は、「僕は誰だ?」という感覚に陥ってしまうことが多いのだけれど。

そういうものを吹き飛ばして生きている、ラッパーという人たちが好きになる。必然だ


人を好きになるのは、自分からとても近い部分か、とても遠い部分を好きになるからだと、勝手に考えている。

主義主張があるから好きになる。それをしっかりと表現してそれに責任を持って生きているから好きになる。

前者と後者で、好きになる理由が真逆になる。



MCバトルが、流行している。日本でその文化が立ち上がった頃からは想像できないレベルで。

僕みたいなラップへのハマり方をした人には多いMCバトルへのハマり方だと思っているのだが、KREVAが過去にB-BOY PARKのMCバトルで3連覇を果たしている。その映像を見て、MCバトルを知り、掘り下げた。


最初は、いわゆる「ナード」な人たちが屈強なラッパーたちを倒していくのに、自分を重ねたりした。

菊丸や環ROY、ライムボーヤなんかがそうだろう。

オタクやら弱そうやら言われながら、ラップの上手さだけで、いかにも物理的にも強そうなラッパーたちをなぎ倒していく。

その様が、美しかった。

あとDOTAMAとかもそうか。TK da 黒ぶちとかも好きだった。

それとは別で晋平太やチプルソもカッコいいなと思ってたな。


半ば必然的に、梅田サイファーという集団を愛することになる。最近活動が盛んで嬉しかったりする。

若かりし頃のR-指定が、ラップのスキルだけで、ゴリゴリのラッパーたちを退けていく。

前述の3人を見るような気持ちで、R-指定を見ていた。

梅田サイファーという場で、ただひたすらラップを愛して、夜な夜なサイファーを続ける。そんな面も当然好きになっていった。

梅田サイファーと関わりの深い面々も当然、好きになった。



ほんの少し話が逸れるが、多くの人は変化している。

環境も性格も。


それを曝け出す人が好きだ。自分にできなかったことだから。最近はそれを出すようにしているのだけれど。たかが一般人レベルではあるが。

R-指定が様々なステージを経験するたびにリリックが変わっていく。KZが勝つためのバトルををやめて、素直で愛の溢れるバトルをするようになっていく。

ラッパーではないけれど、オードリーの若林くんなんかも、変化を恐れず発信する人だ。あの人も、日本語ラップが好きだったりするよな。



締め方がわからなくなるな。文字数的にはそろそろだと思うけども。



気持ちいいという感覚が大事なのだと思う。聴いていて気持ちいい音楽。見ていて気持ちいい人。

それに出会わせてくれたのがラップという音楽であり、ヒップホップという思想であり、MCバトルという人間ドラマなのだと思う。


人間で、ありたい。

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