丁度いい。

過去に書いた詩を振り返り、そこから更に「言葉」について考えていきたい。

現実飛行

日々、現実逃避

心にすがる

頭では分かっているが

心がついていかない

忙しい日々に破裂しそうな頭

まあ、どーにかなるさと詩ってみた

まあ、どーにかなるさと詩ってみた

悲しみの果てに世界があり

砕け散って無くなった

誰もいない灰色の

そんな世界に誰がした

誰もいない灰色の

そんな世界に誰がした

大空から見える景色

想像して笑顔になった

本当の悲しみを知らない人はいいな

幸せに近づくために現実飛行を繰り返した

少年の断片的な記憶は空を切った

本気で話し合う気もない奴に

誰が同情してくれるのか

本気で話し合う気もない奴に

誰が声をかけてくれるのか

血と汗と泥に塗れて突き進む

己の不甲斐なさを知り叩きのめされる

それでいい

それで今夜も眠りにつけるのだから
2018.731


詩を書き始めた頃、今考えると詩は現実逃避をするためのツールだったのかなと思います。今は少し違う気持ちで書いています。呟きに似ています(笑)。


頭では「やらなきゃ」と思っているが、心では「やりたくない」状況は結構あります。逆もまた然り。心を整理するために「書く」という行為は必要に思います。思ったままじゃ現実にはなりません。


私達は現実を生きていますので、それこそいろいろな事が起きます。よく「地に足をつけて」とか言いますが、「現実を見ろ」とか親によく言われました。現実って何なんですかって話なんですが。なかなか理解するのは難しいかもしれません。


生活をする事が現実なのか、仕事をする事が現実なのか。


最近、腑に落ちる言葉を「良寛さん」を調べていて見つけました。「丁度いい」という言葉です。


私見で言いますと「今の立場は己のすべて。そこが丁度いいのではないか。上も下もない。今居る、今ある場所、そこがすべて丁度よい場所」。


そんなもんだろうと思います。


良寛さんが災害に遭った友人に宛てた言葉『災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候』。



諦めなのか達観なのか。救われる気がします。



これからも書き続ける原動力としていきます!