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国立大学の学費値上げに思うこと

 東京大学が学費の値上げを検討し始めたことで議論を呼んでいる。学生から抗議の声が上がり、moka さんの記事のように学生の立場からこの話題に触れている人もいる。学生や教員(研究者)の立場からの声は多いだろう。せっかくなので、国立大学職員としてこの話題について少し話したい。
話す前にこれだけは承知しておいてほしい。
・値上げに反対する学生、教員を非難する意図は無い
・職員の立場であるが、内部の者しか分からない事情には一切触れない
とてもセンシティブで話題のテーマだからこそ、慎重に言葉を選んで自分の考えを伝えていきたい。

値上げは自然な流れ

 結論を言えば、値上げは自然な流れである。なんせ、支出は増え、財源はどんどん減っているのだから。様々な物価が上がっている中で、大学の授業料だけ据え置きにするには限界だ。一番大切な収入源と言っても過言では無い、国からの運営費交付金は目減りしている。
 学費を1人10万でも値上げできれば、学生に直結する部分に対する支出を少しは賄えるようになるだろう。それでも、学生1人が払っている学費に対して、大学で受けられる諸々の「サービス」は元が取れる。学費の値上げに反対する人は、元が取れる云々はきっとどうでもいいだろう。でも、元から国立大学で受けられる「サービス」は学費以上の価値があるものだと気づいてほしい。そのような現状の中で、もう企業努力では価格据え置きが難しくなってきているのだ。

収入を確保しづらい現状

 国立大学はとりわけ自主的に収入を確保しづらい。授業料を上げる代わりにどのような財源が期待できるだろうか。最近は大学債の発行、寄付金などでも大学関連のニュースを見聞きするが、それぞれにデメリットがある。
 大学債の発行で何百億調達!なんて聞き、ずいぶんな額が大学に入ると思う人もいるだろう。あの何百億、実は自由に使えない。ほんの少しだけコソコソ話すると、外部の一部の人は金額だけで〇〇大が自由に使える何百億ものお金を手に入れたと勘違いしてるらしい。
 一番使い勝手がいいのは、寄付金だ。しかし、寄付を募り、それに賛同してもらえないとお金は集まらない。寄付集めにはそれ以外にも問題がある。1つは、「寄付が集まらないものは不要なのか」という問題である。文化財のクラウドファンディングでよくこの話題は出るだろう。国立科学博物館が9億円を集めて話題を呼んだことは記憶に新しい。東京大学では猫の腎臓病研究に数億円の寄付が集まった。これが「人間の腎臓病研究」なら、はたして同額の寄付が集まったのだろうか。集まらなかったとして、寄付が集まらないと不要な研究と言えるだろうか。
 他には、寄付金集めは時に寄付圧力に繋がる問題もある。東北大学が寄付金収入に力を入れていること、それが10兆円ファンドの採択に一役を買ったという話も聞く。その一方でX上では(信ぴょう性には欠けてしまうが、)寄付金集めの圧力が強かったとの批判も出ていた。
 もちろん、各大学は授業料の値上げ以外の方法での収入確保にこれまでもこれからも力を入れている。決して、授業料の値上げありきで動いているわけではない。

値上げに反対するならその声は国へも

 どうして値上げしないといけないのか。根本を考えると、私はやはり国にも責任を問いたい。元はと言えば、運営交付金を削減し、大学が経営を担う方向に持ってきている国が東京大学の学費値上げについて反応を示し、国としても考えてもらうべきだと私個人は考える。
 もちろん、収入減少に抗い、工夫はしている。図書館では、定期購読の雑誌が見直され、オンラインジャーナルの契約も更新されず、古い建物はなるべく学生や教員が使う部分から修繕し、職員のみのエリアなんてボロボロのままである。これが工夫の一部だ。少しは皮肉が伝わっただろうか。

値上げの検討がメッセージなのでは?

 今回の検討には国に対して「国立大学の財務状況はもう限界ですよ」というメッセージを送っているようにも感じられる。現に国大協からも同様の内容を示す通知が出された。経営を担わせようとしている国がこのメッセージを真摯に受け取るとは思えないが。

終わりに

 値上げに反対する人は、なぜ国立大学が学費の値上げを検討せざるを得なくなったのか、まずはその背景を考えてほしい。値上げ=悪!断固反対!!だけでは、今ある問題の解決には一切ならないからだ。なぜ、値上げが必要になってしまったのか、大学が値上げ以外にできることはないのか、社会がそれに対してできることはないのか。自ら主体的に考えることが求められる大学という場に関わる問題だからこそ、偏った思考にはならずに多方面の意見を聞いて、攻撃的にはならずに冷静に議論を進めてほしい。

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