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ノケモノたちの夜から現代の人間関係を考える

TVアニメ「ノケモノたちの夜」を最終回まで見終えた。

「崩国の十三災」と呼ばれる不老不死の悪魔のマルバスと少女ウィステリアの二人を中心に物語が展開する。

この物語には様々な除け者が出てくる。
悪魔とくればお約束の「契約」の概念があり、悪魔は対価なしには人間の望みをかなえることはできない。
そして、この世界では悪魔と契約することは、禁じられている。

マルバスをはじめとする悪魔たちは、人間にあだなす者とみなされ討伐の対象となっていて、
人間社会からははじき出された除け者である。

そんな悪魔たちと様々な理由で契約に至った人間の登場人物たちも人間でありながら、
人間社会では明るい場所にいられない「除け者」なのだ。

私はこの物語に出てくる様々な悪魔と契約者のコンビにとても共感できた。
マルバスとウィステリア、ナベリウスとダイアナ、ダンタリオンとルーサー、
それぞれ性格も志向も事情も違う彼らではあるが、共通点がある。
それは、社会からは除け者だけど、悪魔と契約者の間には絆があり、互いが互いにとってかけがえのない存在であることだ。

社会では居場所が無くても、たった一人の存在が自分を認めてくれる。
ダンタリオンとルーサーに至っては、世界を全て敵に回そうが、俺はお前といるのが楽しくて、生きた心地がするからそれでいいという吹っ切れぶりである。

「ノケモノたちの夜」の世界に惹かれるのは、このたった一人でもありのままの自分を認めてくれる存在がいるからなんだと思う。

現代社会における人間関係の特徴として繋がりを求めることがあげられる。
ここ最近、これが顕著になり、メディアでも取り上げられるようになった。

繋がりを求める心の底には、自分の存在意義を確かめたい、認められたいなど承認欲求があるはずだ。
でも、いくらたくさんの繋がりを得たところで、相手も自分以外の多くと繋がっていて、
繋がった相手にとって自分はたくさんの中の一人でしかない。そのため、たくさんの繋がりを得ても心の底の欲求は満たされないのだ。

私たちが欲している人間関係は、たくさんのつながりの中の一人ではなく、双方にとってかけがえのない存在である関係性ではないだろうか。
だから、社会からは除け者にされても、そんな自分のその全てを受け止めてくれるたった1つの存在を持っている「ノケモノたちの夜」の登場人物に私は惹かれたのだと思う。

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