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ゲネラルパウゼ

G.P.という音楽記号がある.
ドイツ語 General pause(ゲネラル・パウゼ)の略で,意味は「総休止」.日本的に言うと,「全体,止まれ」みたいな感じ.楽団の全ての楽器が号令に従って演奏を止める.直前の音が微かにホールにこだまし,残響とともに張り詰めた空気が場を満たす.
音楽は止まらない.
音が無い,という音楽が流れる.通常,楽器を持たない観客は音を出す合奏に参加することはできないが,G.P.によってもたらされる音の無い合奏は会場全体で作られていると感じる.
永遠に続きそうな数秒の静寂の後,指揮棒の合図によってG.P.は解放される.無意識に肺に留めていた熱々の空気が,一種の安堵と共に鼻から出ていく.つかの間の抑圧から解き放たれた音楽は,無音の余韻を孕みながら前へ前へ進行していく.

夜,一人で無言でPCに向かっていると「今の状態はG.P.なのだろうか」と思うことがある.私一人の「総休止」だ.不思議なもので,「G.P.なのだろうか」と思った瞬間から何の変哲もない時間の流れに意味や芸術性が生まれる気がする.普段何も音を発しやがらない机や椅子までもが,音を発しないという音楽を奏で始めるのだ.

G.P.の性質は直前の音楽で決まると思う.緻密に作りこまれた,密度の高い音楽が一斉に止まるからこそ,無音に物語が生まれるのだ.急に生まれたサイレンスの中で,今まで耳を満たしていた音を反芻する.
曲中で最も余韻が聴こえる時間だ.

G.P.の性質は直後の音楽で決まると思う.動き出したバンドとの一体感.フォルテなら力強さ,ピアノなら繊細さが静寂を切り裂き,無音が生んだ物語を紡いでいくのだ.生み出された音の中で,今まで耳を満たしていたサイレンスを反芻する.
曲中で最もブレスが聴こえる時間だ.

常に向上を志している人を見ると,自分の向上心の無さに辟易してしまう.止まることなく上を目指す姿は,私にはとってはとても眩しい.今を生きるのに精一杯だから,未来に想いを馳せる時間がないのだ.「理想の自分」を追いかける気力は残ってないのだ.
死にたくはない.生きている意味があると自分に納得させたい.前に進んでいるかは分からない,上に登っているかは分からない,ただ,止まらないことで「人間」を保つ.

G.P.

とてもショックなことがあり,何も考えられなくなった時があった.全てが止まった.今までの自分を肯定するために動き続けようとしたが,縛られたように体が動かなかった.「人間」を保てない,と思った.私の中心に大きな穴が空き,これは修復不可能な穴なのだと感じた.
ショックを抱えながら時間が過ぎた.どうにもならないショックはどうにもならないままだった.止まったままの私は止まり続ける意味も分からないまま,ただ生き続けた.

いつも隣にいた友達はよく笑うやつだった.なぜ笑ってるのと聞くと,分からない,といつも返ってきた.
久しぶりに会う「人間」の形を保てなくなった私の横でも,彼女は笑っていた.彩度のない静寂の時の中に,ビビットな光が見えた.指揮棒が振られた気がした.
なぜ笑ってるのと聞くと,分からない,と返ってきた.私も分からずに笑った.進み始めた.

動いていた時には動くのに精一杯で,
止まっていた時には止まるのに精一杯だった.
総休止の最中は,焦燥感や無力感で心が満たされていて,何も進まない現状の生産性の無さを憂うしかなかった.
しかし,音楽は止まらない.

ゲネラルパウゼを楽しむべきだとは思わない.ポジティブな音楽もネガティブな音楽もあって然るべしである.
しかし,G.P.は休止であり終止ではない.
いつか,タクトが振られる.
残響に耳を澄まそう.余韻を肌で感じよう.
これまで自分のやってきたことと,これから自分がやることが,無音に意味をもたらしてくれる.

生きていると音楽は続く.
楽譜にG.P.が書いてあるなら,それは必要な休止なのだと思う.

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