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将棋をやめるということ

なんやかんやあってTwitterをやめようとしたが、
なんやかんやあってTwitterを再開した。
noteも書かないつもりだったが、毎日のようにメール通知がくるのが鬱陶しいから…という理由ではないが、良い機会なので再開してみることにした。

私は将棋をやめた。過去にも似たようなことはあったし、『指す将』と呼ばれる民の『将棋やめる』は、プロレスラーの引退くらいの信憑性だ。
あくまで今現在のお気持ちの表明であり、それがいつまで続くのかは本人さえわからない。

所詮ただの趣味であり、続けようが辞めようが、
基本的に誰に迷惑がかかることもないし、日経平均株価や、世界情勢などに影響を及ぼすことはも皆無だ。『やめる』『やめない』なんて各々の自由だし、それについて告知も必要なければ役所への届出も必要ない。勝手にすれば良い。

『将棋をやめる』発言が真実だろうが、嘘だろうが、他人にとっては何の興味もないだろうし、中には「やめないで!」「やめない方がいいよ!」待ちのかまってちゃん的な人もいるだろう。
これはTwitterに対しても言えることで、結果的に私は出戻ってしまい、日々『やめるやめる詐欺』を犯してしまった罪を背負って生きている。

さて、『将棋をやめる』とは何なのか?
『対局をやめる』、『ネット将棋をやめる』、詰将棋などの勉強をやめる』、『プロの将棋観戦をやめる』、『餃子の王将に行くのをやめる』、『将棋のルールをきれいさっぱり忘れてしまう』など、いくつかの段階があると思うが、私は『将棋』を完全に切り離した生活には戻れそうにはない。TwitterのTLで嫌でも将棋の話題を目にするからというのも理由の一つだが、数年続けてきた『将棋ありきの生活』が意外と体にこびりついて洗い流せないのである。

では、なぜそこまでして『将棋』をやめようとしているのか、色々とそこに至るまでの経緯はあるのだが、最大の理由はシンプルで『将棋を楽しめなくなったから』である。負けたら必要以上に落胆し、勝っても全く喜べない。いくら勉強したところで成長を実感できない。『勝敗』や『レート』に支配されたつまらない『将棋』しか今の私には指せない。これでは楽しいはずもない。

綺麗事を並べれば、いくらでも将棋を続ける理由は見つかるだろうが、そこまでして『将棋』を続けたくないのだ。『将棋』や、その界隈の諸々に対して、ここ半年くらいで徐々に嫌気がさしてきた。誰が悪いと言うつもりもないし、誰が悪いわけでもないのかもしれないが、一度失った物は二度と元に戻らないことを痛感した。

今後、また『将棋を指したい』と思うことがあるかもしれない。数週間後なのか、数ヶ月後なのか、数年後なのか、それはまだ私にもわからない。今一つだけ言えることは、『第7期 指す将順位戦』には絶対に参加しないということだ。
これはフリではなく、本心だ。第8期も参加しないし、第9期もその先も参加する予定はない。
第6期で心が折れてしまったからである。
『勝敗』や『成績』以上に大切な何かを失った。

私は好きな『将棋』を嫌いになりたくない。
そしてこれ以上、自分に失望したくない。
将棋を指す人、強い人はアレな人が多いとは思いたくないし、将棋に費やす体力や時間を今は他のことに使いたい。とりあえず今週末は両国2連戦なので、仕事はそこそこにして備えたいと思う。
今後は『将棋』の記事ではなく、『プロレス』の記事でも書いてみようかと思っている。

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