世界の終わりを感じた日
あの日は、その当時所属していた
ブラック企業の社長の誕生日だった。
2週間に一度、『帰社日』という名の
強制参加自腹飲み会が予定されていた。
昼前に客先に行くと言ってでかけた社長。
通称『バナナ』
本社と呼ばれる麻布十番の小さい
オフィスで勤務していた4人
パワハラを得意とするクソみたいな上司
通称『ひつじくん』
先輩風を吹かせる
某ビジュアル系バンドが好きな事務の女性
通称『アタイ』
小学生レベルの下ネタばかり口にする
メンタル弱めで体は大きめの先輩女性
通称『カオナシ』
会社では一番下っ端で仕事のできない私
通称『メルティ』
あと数名、社員は在籍しているが、出向しているため、夕方に帰社して、行きつけの居酒屋で
社長の誕生日を兼ねた地獄の飲み会(自腹)が
開催される。(給料めっちゃ安いし残業代なし)
私はこの会社には騙されてばかりだった。
事務の女性、通称アタイもこの会社に
騙された人間の1人だった。『事務』として雇われたはずなのに、いつの間にか『プロプラマ』に片足を突っ込んだような業務を当たり前のようにさせられていた。
その日は15時締め切りの客先に提出する
画面レイアウトを独学で習得した技術を駆使して作成していたのをよく覚えている。納期に追われて朝からとても不機嫌だったからだ。
昼食をとれる時間もなく、私が代わりに事務所の目の前にあるコンビニに買いに行った。
締め切り直前、なんとかメールで客先に納品したらしく、先方に電話で報告をしようとしていたその時、オフィスが大きく揺れた。今まで経験したことのないような長い揺れに感じた。
洗面所のハンドソープが落ちたくらいで、
運良く被害らしい被害はなかったが、
Yahooニュースで流れてくる動画を観た私は、
これが現実に起こっている出来事だと、
にわかには信じられなかった。
そこからはとても仕事が手につく状態ではなく、
プログラムコードを一文字も書くことなく、
ファイルを開いたり閉じたりを繰り返していた。
Yahooニュースだけでは情報が足りず、
事務所に眠っていた古いテレビを引っ張り出して、ずっとNHKニュースを流していた。
割と早い段階でJRや他の路線も運休を発表し、
出向中の社員が帰社できないことが確定した。
飲み会の主役である社長(通称バナナ)も客先に車で行ったっきり、大渋滞にハマって本社(小さい事務所)に戻って来れそうな目処が立たないと連絡を受けた。残った私たち4人も電車が動かないことには帰宅することすらできない。
仕方なく、予約していた居酒屋に向かった。
周りの飲食店は軒並み営業を見合わせる中、
意外なことにその店は通常営業を行なっていた。
かなり古い建物だったため、たびたび襲ってくる余震にビクビクしながら食事をしたが、いざという時に備え、アルコールは一滴も摂取しなかった。
パワハラ上司(通称ヒツジくん)は、酔えば揺れが気にならなくなると意味不明なことを口走りながら、いつも通りガブガブ酒を飲んでいた。
心の底からバカなんじゃないかなと思った。
その途中、愛媛にいる友人が心配して電話をくれた。その彼は阪神大震災当時、奈良に住んでいたので、震災に対して他の友人より敏感だったのだと思う。他の友人からは特に何もなかった。
通常なら終電がなくなる時間になっても、
電車は動き出す気配がない。会社に戻る途中で長期戦に備えて食料調達にコンビニに寄ったが、ドレッシング以外の商品はほとんどなくなっていた。かけるサラダはない。辛いカップラーメンも残っていたが、お湯が使えなくなる可能性を考慮した結果、購入は見送った。
会社でやることもなく、仕事も手につかないし、
テレビで流れる各地の被災状況を観ては、残酷な非日常を感じていた。25時過ぎにやっと誕生日を過ぎたバナナ(通称社長)が帰ってきた。
どうやら、最寄駅の大江戸線が動き始めたとのこと。当時住んでいたアパートは、大江戸線沿線だったので、これに乗ることができれば帰ることができる。
とりあえず4人で駅に向かうことにした。
そこには信じられない光景が待っていた。
国民的アイドルイベントでも開催されるのか
というくらいの長蛇の列、しばらく待っても
全く先に進まない。電車がくるたびに人の波が
押し寄せ、中へ中へと無理矢理流れていく。
その波に飲み込まれ、私とアタイの2人は
電車に乗ることに成功した。
突然の揺れを警戒して、通常より遅いスピードで運行する電車、大江戸線の車内はとても狭い。
キャパ以上に乗客で溢れ返っている。
体の置き場もなく、呼吸もままならない。
耐えられなくなった私は自宅の最寄り駅には
まだまだ遠い駅で下車することにした。
そこから徒歩でアタイの最寄り駅に
辿り着いたので、そこで別れた。
当時近所に住んでいた友人が、ちょうどその駅でバイトしていたので、連絡を取って合流することにした。とはいえ、やってる店もあまりなく、電車にも乗れる状況ではない。覚悟を決めて徒歩で帰宅することにした。1人ではかなり心細いが、2人なら少しだけ心強かった。(方向音痴だからってのもある)
早朝、新宿のCoCo壱番屋でカレーを食べた。
すき家や松屋が営業を見合わせる中、普通に営業していた。長時間歩いてお腹が空いていたのもあり、家までのラストスパートのためのエネルギー補給ができた。たしか、家に着いたのは9時前だったと記憶している。
ボロい木造アパートだったので、全壊していないか心配だったが、特にこれといって被害はなかった。テレビをつけても、定期的に鳴り響く緊急地震速報のアラートにビクビクしながら、『ありがとウサギ』や、『さよなライオン』が出てくるCMのリピートに気が滅入っていた。
会社が『計画停電』のエリアになったため、
家に基盤(組み込み系やってた)を持ち帰り、
テストをすることになっていたが、
とても仕事をする気にはなれなかった。
そこから数ヶ月経過しても、なかなか日常に戻ることはなくて、本当に世界の終わりを感じていた。精神的にもダメージがあり、当時ヘビースモーカーだった私が、一本もタバコを吸えなくなった。これはマズイと思った私は病院に行き、医者に相談したところ、『タバコやめれば良いのでは?』と有難いアドバイスを頂いたことにより、
あっさりと禁煙に成功した。
あれから13年、あの時一体、私はいくつだったのだろうかと思うこともあるが、絶対に忘れることのできない出来事である事は間違いない。
この日本に生きている以上、いつかくる大震災から逃れることはできないのかもしれない。
だが、いつそれが襲ってきても対処できる準備は怠らないようにしたい。決して油断せず、強い心でありたいと思う。
ちなみに、その会社は震災の数ヶ月後に辞めた。
そして、その日一緒に家まで帰った友人とは縁が切れた。(音楽性の違い)
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